第2回 ジャズクラリネットの歴史 その2
Hey Guys!! この度、CLARINET ONLINE企画を担当させていただくことになりました、ジャズクラリネット奏者の熊倉未佐子です。これからジャズに挑戦する皆様に、よりジャズに親しんでいただけるよう、楽しくわかりやすい情報発信をして参ります。お付き合いのほどよろしくどうぞ。
さて、第二回の今回は、前回の”ジャズクラリネットの歴史”の続きです! 前回、ジャズ発祥の地ニューオリンズから始まり、ニューオリンズジャズ、ディキシーランドジャズ……、後半では歴代奏者もご紹介しました。
今回も前回同様、略式ではございますが、ジャズの歴史について、続きからまとめてみました。後半には、演奏スタイルの違いについての考察や、ジャズクラリネットの系譜から偉大なスター奏者についても触れます。ぜひ最後までお楽しみください。
スウィングジャズ
ジャズは、ニューオリンズからシカゴへ、さらにはニューヨーク、カンザスシティ、西海岸へと広まっていきました。
今やジャズの聖地となったニューヨーク。ジャズは、歌やダンスのバックで演奏される音楽として、ハーレムや高級クラブなどでとても人気がありました。
1920年に制定され、1933年まで13年間続いた禁酒法のさなか、ジャズは違法酒場で不可欠な音楽となりました。人々の心を昂らせる酒と音楽はいつの時代も密接な関係なのでしょう。
1929年に大恐慌が発生し、ニューヨークのウォール街が壊滅しました。この不況によってもたらされた絶望の中で、人々はジャズの音楽に明るい光を期待し、未来への希望を抱くようになりました。その結果、陽気で自然と体が踊り出してしまうような「スウィングジャズ」が誕生したのです。
1930年代にはクラリネット奏者のベニー・グッドマンやピアニストのデューク・エリントン、カウント・ベイシー、トロンボーンのグレン・ミラーらがトランペット、サックス、トロンボーンなどによる大編成のビッグバンドを率いて、米国各地のダンスクラブで人気を博しました。
1938年のカーネギーホールでのベニーグッドマン楽団のコンサートは、スウィングジャズの栄光をしらしめることになった大きな出来事として多くの人々に知られています。
今でもブラスバンドなどで演奏されることの多い『シングシングシング』『ムーンライトセレナーデ』『A列車で行こう』といった有名な曲が多いのも、この時代のジャズの人気を象徴しているのかもしれませんね。
熊倉未佐子
Misako Kumakura
ジャズを子守唄に、6歳でピアノ、9歳でクラリネットに出会う。クラシックを小山裕子に師事。
洗足音大ジャズ科2013年卒業。谷口英治、中村誠一に師事し、Evan Christopher、Anat Cohenのレッスンも経験。
第35回浅草ジャズコンテストバンド部門銀賞、ソリスト賞受賞。
北村英治米寿記念コンサートで北村英治と念願の共演を果たし、以後も共演を重ねる。
日本のジャズ史上初の女性クラリネット奏者として活動する傍ら、企業が運営するYouTubeチャンネルのパーソナリティーを務め、同社のテレビCMにも出演する等多彩な活動を展開。