クラリネット記事 第10回「今でも忘れられない」
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加藤明久のクラリネット何でもQ&A

第10回「今でも忘れられない」

加藤先生が初めてクラリネットを吹いたとき、どういう練習をして上達したのか、成功談と失敗談をお聞かせください。(会社員・東京)

中学一年生の春、聞こえてくる音に導かれて何となく見学に入った音楽教室で持たされたのがオンボロのバスクラ。なぜかスーッと開放のG音が出て、一週間後には曲が吹けるようになっていた。ただし、音が出たのは中間のE音あたりまで。どうやら壊れていたらしく、そこから上はどうがんばっても出なかった。秋のコンクールのこと、先輩がそのバスクラを吹いた時にその事実が発覚した。先輩も、持ち込んだ楽器修理店のオジサンも、そのバスクラでH音より上の音が出せなかった。これではつまらないと、冬に並クラを購入。バスクラと縁が切れるはずが、オンボロバスクラは加藤以外の吹き手には反応しない楽器になっていた。おかげで、しばらく両刀使いの日々を送る。何のことはない、中学二年にして現在と同じポジションを確保していたことになる。……[続きはこちらから!!]

私は加藤先生が大好きです。N響アワーを見ながら、今日は出ていないのかなぁと思ったり。私はクラリネットが大好きです。先生はクラリネットの魅力ってなんだと思いますか?(高校生・愛知)

いつも手紙をありがとう。楽しく読んでいます。ところで最近のN響アワーは、古い映像が多くて笑えますね。みんな長髪で、大和朝廷のお役人とか、海彦・山彦みたいな髪型で。先日放映された合唱付きの曲では、後ろにいた合唱団の女子大生が全員「聖子ちゃんカット」でしたね。聖子ちゃんってわかりますか スケートじゃなくてママドルのほうですよ。ただ、偶然チャンネルを合わせた一般視聴者があの映像を見たら、「クラシックの演奏家って古クサい人ばっかり」って思うんじゃないかって心配しているのですが。ところで、クラリネットの魅力。あなたはどう思いますか?……[続きはこちらから!!]

加藤明久

Akihisa Kato

クラリネットを大橋幸夫、浜中浩一の両氏に師事。 1983年、国立音楽大学卒業。その年より制定された矢田部賞を受賞。 第53回読売新人演奏会などの新人演奏会に出演。 第16回民音室内楽コンクール第1位入賞。 1984年、第1回日本クラリネット・コンクール入賞。 1985年、第35回ミュンヘン国際コンクール木管五重奏部門でファイナリスト。 1988年、欧日音楽講座にて初のビュッフェ・クランポン賞を与えられる。第2回日本クラリネット・コンクール入賞。 1990年、NHK交響楽団に入団。 2019年、NHK交響楽団を退団。 2019年より昭和音楽大学教授、武蔵野音楽大学非常勤講師。

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