クラリネット記事 【全3回】クラリネットを本当に楽しむためのヒント
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クラリネットを本当に楽しむためのヒント

【全3回】クラリネットを本当に楽しむためのヒント

私のクラリネットとの出合い

皆さん、あけましておめでとうございます。皆さんは昨年、どんな出合いをしましたか? クラリネットに出合ったという人もいるでしょうか。
私がクラリネットに“出合った”のは、上京した40年近く前のことです。そのころ、新橋駅の近くに「夜来香(イエライシャン)」という音楽喫茶店がありました。店内は立派な造りで、客席もくつろげるもの。それが1階から3階まであって、バンドが入っていました。バンドはゴンドラにそっくり収まって上昇し、各階でしばし止まって客にサービスするという大仕掛け。店に入りますと、この世のものとは思えない美しいクラリネットの音が聞こえてきました。見てみると、年のころは30前後、かっぷくのよいお兄さんが豊かな黒髪をほどよく光らせ、自信たっぷりな中にもいたって如才ない身のこなし……。田舎から出たての私は、初めて「東京のひと」を見たようで舞い上がってしまいました。思い切ってリクエストした『エデンの東』を吹いてもらい、またまた大感激。そのお兄さんの名は確か「フジカコウジ」とか。それまでの私にとって、クラリネットはただピーピーキャーキャーうるさいだけの楽器というイメージだったのに……。これが私の、クラリネットとの最初の出合いです。その後もいくつかの出合いがあって、先日はリチャード・ストルツマンの音にシビレました。


<音づれ人>
時の流れの落としもの
籠に一杯あつめたら
こぼれて花になりました
赤 白 きいろ 空のいろ

音づれの旅 花だより
そんな想いが輪になって
いつかどこかで聞くでしょか
花の子たちの物語り

これは、10年前に私が「音づれ人」の活動を始めたときに浮かんできたものです。これから、この連載の中でお話しするような考え方をもとに音楽や演芸で各地を回る仕事をするのが「音づれ人」。その言葉自体は、折口信夫という大正から昭和初期前期に活動した方の民俗学から借用したものです。
古代の日本人は、人々にありがたい恵みを運んでくる何かは音とともにやって来る、あるいは音がその兆しになると考えていたと言います。この「何か」はどこからやって来るのかというと、山の奥だったり、あるいは波路はるか海の向こうの遠い国(常世の国)だったり……。そして、自分の心が変化していく“出合い”へとつながっていくのです。

というわけで、私が考える「クラリネットを本当に楽しむためのヒント」を三回にわたってお話しさせていただきます。どうぞひとつよろしく。次回は、出合いにまつわるお話です。

菊乃家みやまつ座
みやまつ真水

Mamizu Miyamatsu

本名、内藤和男。1942年新潟県越路町出身。中央大学卒業。司書などを経て1993年ちんどん菊乃家へ入門。それまで“幻想”だった「音づれびと」を実際の仕事として具体化する試みに着手。素材はちんどん。太鼓・ズルナ(トルコのチャルメラ)などなど広く楽器に親しむが、メインはクラリネット。祖父ゆずりの易者でもある。


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