【新連載】私の録音楽屋日記
ホールの環境を確認する
今回のレコーディング場所は千葉県美浜区にある「美浜文化ホール」という音楽ホール。2007年7月に完成したばかりの新しい施設で、ホールには湯気の香りが漂っており……(というのは冗談!)、建材の匂いがプンプン漂っていました。客席が150席という比較的小振りなホールで、室内楽の録音にはうってつけの広さと言えるでしょう。しかも今流行のボックス型のホールになっていて(客席とステージのそれぞれの天井が同じ高さでひとつながりになっている)、この広さとしては奇跡的と言えるほど響きは豊かでした。まさに録音用としては最高のコンディションです。
ただし、クラリネットという楽器は管楽器の中では比較的歴史の浅い楽器で、オーボエなど古くからある楽器と比べても完成度の高い(?)楽器なので、あまり残響がなくても完成度の高い音色になる恵まれた楽器です。したがって、ホールの残響を活かしすぎるとぼんやりとした音色になってしまうため、どんなに良いホールであっても、その場所が一概にレコーディングに適しているとは言えない難しさがあります。逆に弦楽器やダブルリード系の楽器などは、残響も含めてひとつの音色が完成する楽器なので、ホールの残響を目一杯活かす必要があります。楽器によってマイクを立てる位置はぜんぜん違ってくるわけです。クラリネットのように残響があまり必要ない楽器としては、ほかにピアノなどが挙げられます。昔から部屋の中で演奏されることが多く、そのために設計されているからです。
いよいよ録音スタート!
奏者との“二人三脚”がカギ
さて、ここまでは録音方式、マイクセッティングの位置、ホール環境(レコーディング環境)についてお話ししてきました。そろそろ「クアットロ・アンチェ」のレコーディング風景に話を戻したいと思います。録音が始まって数回は、音決めのためのテイクになります。1楽章分を録音しては全員でプレイバックを聴き、マイクの位置などを変更していきます。納得するまで音づくりを行ない、最終決定すればいよいよレコーディング本番です。
この日の一曲目は、ハイドン作曲(奥田氏編曲)の『ディヴェルティメント』でした。もともと2本のオーボエ、ホルン、ファゴット・オブリガード、セルパンという5つの楽器のために作曲されましたが、現在では存在しない楽器もいくつか含まれているため、一般的には木管五重奏で演奏されます。2楽章にとても有名な「聖アンソニーの主題」というメロディが使われており、後にブラームスがこのメロディを使って『ハイドンの主題による変奏曲』を書いたことでも有名です。この曲、ちょっと聴く限りではやさしく演奏できそうなのですが、こういう曲こそ、ちゃんと聞かせる演奏は結構大変です。この日は1楽章から順番に4楽章まで録音しました。もちろん、楽章ごとに別々に録音。1楽章が満足いくテイクが録れたら2楽章……、というスタイルです。「クアットロ・アンチェ」のメンバーは見事な演奏でまとまりも良く、順調なペースで録音が進んでいきましたが、それでも1楽章の後半はかなり難航して、結局のところ6テイク取り直しを行ないました。後で編集する際に、良い部分のテイクを繋ぎあわせる予定です。
続いての曲はチャイコフスキー作曲(やはり奥田氏編曲)の『くるみ割り人形組曲』です。この曲は奥田氏の真骨頂が発揮された名曲(名アレンジ)と言える内容でした。たとえば原曲ではピッコロという高い音の楽器で演奏される部分を、わざと低音楽器であるバス・クラリネットにやらせたり、ひとつのメロディを細かくパート分けして、いま誰が何を吹いていて、それが誰にどうつながっているのかまったく想像もつかない面白さがあり、気がつけば奥田ワールドに引き込まれていました。「クアットロ・アンチェ」は、そんなパズルのような楽譜であることはまったく感じさせない演奏を聴かせてくれましたが、これは彼が一流たる所以なのか、メンバーの腕なのか。ぜひ完成したCDを聴いて確かめていただきたいと思います。
最初に『葦笛の踊り』で小手調べ。これは順調に3テイクで完了。次にひとつの山場ともいえる『花のワルツ』ですが、これも順調に進み、部分差し替え用の3テイクのほかは、テイク1で完了しました。
しかしこれからが難産でした。次の『マーチ』は、13テイクに及びました。1テイクごとに、プレイバックを聴きに来るメンバーの疲れ顔を見て、行き詰まったメンバーに休憩のタイミングを促したり、励ましの言葉をかけたり、良かったところを取り上げて気持ちを盛り上げたりすることも、私の仕事であると勝手に思っています。新進の「クアットロ・アンチェ」には、よいCDを作って今後も活発に活動を続けていってほしいという願いも大きかったので、私も必死でした。
レコーディングの現場では、暗礁に乗り上げたときにどのように抜け出すのかも重要です。休憩などのタイミングをきっかけに簡単に克服できる場合もありますが、一度悪循環にはまってしまうと、その日のレコーディングをすべて中止して、日を改めて録り直すほうが良いことも多々あります。
そして次の『序曲』も苦労の録音となりました。かなり速いテンポのタンギングや複合メロディの連続で、まさに一難去ってまた一難です。あと少しで完成、という気力だけがメンバーの気持ちを後押ししているようでした。続いて、『アラブの踊り』『中国の踊り』『トレパック』と順調に完成させ、録音はすべて終了。全8曲が終了したのは、夜の8時。完成した喜びと疲労感でいっぱいの様子でした。しかし私の仕事は、ここからがもうひとふんばり。CD完成までには、テイクを聴き直してつなぎ直したり……の作業が待っています。『クアットロ・アンチェ』のCDは、この日に収録した2曲と、ブラームスの『ハンガリア舞曲』を含めた3曲編成で、春すぎの発売予定です。奥田氏の見事な編曲と、「クアットロ・アンチェ」のフレッシュな演奏をぜひお聴きください!