クラリネット記事 ヴェンツェル・フックス from The Clarinet vol.1
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RE : Memories No.1 / Wenzel Fuchs

ヴェンツェル・フックス from The Clarinet vol.1

RE:Memories No.1
ヴェンツェル・フックス

Wenzel Fuchs
from The Clarinet vol.1 in 1998

通訳:Fucks-今永靖子 / インタビュー:大浦綾子

 

本当ですか? 私のファンが日本にいるなんて!

ベルリン・フィルの歴代首席奏者の中でも、きわめて高い実力が評価されているフックス氏。しかしその素顔は、日本の温泉が大好きだと語る謙虚な人物だった。もしかしたら長野五輪に出場していたかもしれない? 意外な経歴をうかがいながら、フックス氏の音楽の秘密に迫った。
※1998年発刊当時の内容を、一部修正を加えた上で掲載しています

弦楽器奏者は都会人、管楽器奏者は地方出身者が多いんです

まず、クラリネットを始めたきっかけからうかがいたいのですが。
フックス
(以下F)
私が育ったのは、チロル地方のキッズビルというスキーで有名なところなんです、私の母も、スキーなどスポーツ用品の店を経営しているんですよ。10歳くらいからリコーダーを吹き始めたのですが、その後ブラスバンドに入ってクラリネットを吹いていました。オーストリアには地方色豊かなブラスバンドがたくさんあって、土地の民謡やマーチを演奏します。私の兄もブラスでトランペットを吹いていました。兄が金管なら私は木管をと思って、クラリネットを始めたんです。実際、ウィーンのような大都市のオーケストラの管楽器奏者は、地方の吹奏楽出が多いんですよ。逆に弦楽器奏者は、ザルツブルクなど都会出身者が多いんです。
キッズビルではどんな子供時代を?
F
いつも戸外で遊んでいました。友達と一緒にスキーをしたり山登りをしたり。
一方でクラリネットも練習していた。
F
そうです。そのころは好きなメロディーを吹いたり、アンサンプルをしたり。曲を覚えると、もう次の日には、友達に吹いて聴かせていました。「これが昨日覚えた新しい曲だよ!」と言ってね。友達と楽しみながら練習していましたよ。
スキーがとても上手だそうですね。
F
学校へはスキーで行っていましたから。それに、オリンピックのスキー選手を養成する学校に通っていたこともあるんです。
ということは、少年時代はクラリネットとスキーの両方をこなしていたんですね。音楽の道の方を選んだきっかけはなんですか。
F
練習中の事故で足を折ってしまい、練習ができなくなったのです。だからスキーの学校はやめて、その後、14歳のときにインスブルックの音楽院へ通いだしました。
インタビュアの大浦綾子さん
フックス氏の奥様 今永靖子さん

 

もう少しでウインナ・オーボエ奏者になるところでした

F
その1年後、ウィーンに行きました。ご存じでしょうか。昔はウインナ・アカデミーと言われたところ。現在はムジーク・ホッホシューレと呼ばれていますが、その学校に通いだしたんです。
これは、ある人のすすめによるものでした。インスブルックの音楽院に通っていたころ、有名な音楽家が偶然、母の店に買い物に来たのです。母は私の才能を判断してもらおうと思ったのですね、音楽家の前でクラリネットを吹くように言ったのです。私の演奏を聴くと音楽家は「すぐにウィーンへ行くべきです。しかしクラリネット奏者はたくさんいて競争が激しい。ウインナオーボエにしなさい」と言われました(笑)。その通り、ウィーンの音楽学校では、最初オーボエを練習したんですが……。大変でしたね。
そのときすでにクラリネットが吹けるのにもかかわらず……。
F
そうですね。でもオーボエに専念するためにクラリネットは誰かに売ろうと思ったんですよ。でも母が、こんなにきれいにクラリネットを吹けるんだから売らないで、と言ってくれたんです。8ヵ月後、やはりオーボエをやめて、クラリネットにもどりました。だから今があるのは母のおかげですね(笑)。

生徒にやる気を出させる2つの方法

音楽学校では、どんな練習をしていましたか。
F
イエッテル、ベールマンなど、エチュードはとにかくたくさんやりました。それに音階も。カトリック教徒の人はよく「パンが肉になってワインが血になる」といいますが、それと同じなんです。音階が肉になってエチュードが血になる。どちらが欠けてもいけない。
現在は、音楽学校の先生として教壇に立っていらっしゃいますね。そのへんの教育システムはどのようになっているんでしょうか?
F
教えるには2つのやり方があると思います。ひとつは大勢の生徒を教えて、そのクラスの中で競わせる方法、もうひとつは少数の優れた生徒を集中して教える方法です。
私がウィーンアカデミーで習った先生には、40人もの生徒がついていたんです。しかし先生はとても忙しかった。だから、午後2時から7時にレッスンを行なうと発表されると、生徒がレッスン室にどっと押し寄せる。個人レッスンにきたはずなのに、結局大勢の仲間の前で演奏することになるんです。それがとても良かったんですね。他人の演奏を聴いて「おや、あいつは先週よりうまくなってる」「下手だったのにこのところ急にうまくなったな」と、ライバル意識が刺激されるんですよ。皆がうまくなっていく。
一方、私がいま教えているカラヤン・アカデミーでは、1 人の生徒しかいません。その生徒を私が2年間指導します。
オケで吹きたいという生徒にはどのように教えていらっしゃいますか?
F
私の教えている学校では、オーケストラスタディの授業があります。その他に、たとえばオケの欠員募集などが発表されたら、オケの課題曲を集中して教えます。やはり上手な生徒なら合格させてやりたいし、オーディションの場に立つこと自体、他ではできない勉強ですから。
 
仲間の演奏を聴くとライバル意識が刺激されるんです

 

 

ヴェンツェル・フックス Wenzel Fuchs
オーストリアのインスブルックに生まれる。スキー競技の選手を目指していたが、音楽高校へ入学したのをきっかけに音楽の道を歩み始める。インスブルック音楽院にてヴァルター・ケーファー教授に学んだ後、ウィーン高等音楽院にてペーター・シュミードル教授(ウィー ン・フィル首席クラリネット奏者)に学び、最優秀の成績で卒業。オーストリア政府学術・芸術協会より名誉賞を受賞する。そして、早くもこの頃、ウィーンすべてのオーケストラ(ウィーンフィル、オーストリア放送響、ウィーン交響楽団など)で、代理奏者として演奏活動をしていた。その後、19歳よりウィーン・フォルクスオーバー管弦楽団、オーストリア放送交響楽団で、5年間首席クラリネット奏者を務め、あらゆる賞賛を受ける。1993年より、ベルリン・フィル首席クラリネット奏者を務め、現在に至る。また、1995年より、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤンアカデミーで教鞭を執っているほか、ヨーロッパ、アジアを中心に、国内外でソロ、アンサンプルと精力的に活動し功績を重ねている。
※1998年 発刊時点のプロフィールです

 
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