ヴェンツェル・フックス from The Clarinet vol.1
RE:Memories No.1
ヴェンツェル・フックス
Wenzel Fuchs
from The Clarinet vol.1 in 1998
通訳:Fucks-今永靖子 / インタビュー:大浦綾子
本当ですか? 私のファンが日本にいるなんて!
ベルリン・フィルの歴代首席奏者の中でも、きわめて高い実力が評価されているフックス氏。しかしその素顔は、日本の温泉が大好きだと語る謙虚な人物だった。もしかしたら長野五輪に出場していたかもしれない? 意外な経歴をうかがいながら、フックス氏の音楽の秘密に迫った。
※1998年発刊当時の内容を、一部修正を加えた上で掲載しています
弦楽器奏者は都会人、管楽器奏者は地方出身者が多いんです
(以下F)
もう少しでウインナ・オーボエ奏者になるところでした
これは、ある人のすすめによるものでした。インスブルックの音楽院に通っていたころ、有名な音楽家が偶然、母の店に買い物に来たのです。母は私の才能を判断してもらおうと思ったのですね、音楽家の前でクラリネットを吹くように言ったのです。私の演奏を聴くと音楽家は「すぐにウィーンへ行くべきです。しかしクラリネット奏者はたくさんいて競争が激しい。ウインナオーボエにしなさい」と言われました(笑)。その通り、ウィーンの音楽学校では、最初オーボエを練習したんですが……。大変でしたね。
生徒にやる気を出させる2つの方法
私がウィーンアカデミーで習った先生には、40人もの生徒がついていたんです。しかし先生はとても忙しかった。だから、午後2時から7時にレッスンを行なうと発表されると、生徒がレッスン室にどっと押し寄せる。個人レッスンにきたはずなのに、結局大勢の仲間の前で演奏することになるんです。それがとても良かったんですね。他人の演奏を聴いて「おや、あいつは先週よりうまくなってる」「下手だったのにこのところ急にうまくなったな」と、ライバル意識が刺激されるんですよ。皆がうまくなっていく。
一方、私がいま教えているカラヤン・アカデミーでは、1 人の生徒しかいません。その生徒を私が2年間指導します。
ヴェンツェル・フックス Wenzel Fuchs
オーストリアのインスブルックに生まれる。スキー競技の選手を目指していたが、音楽高校へ入学したのをきっかけに音楽の道を歩み始める。インスブルック音楽院にてヴァルター・ケーファー教授に学んだ後、ウィーン高等音楽院にてペーター・シュミードル教授(ウィー ン・フィル首席クラリネット奏者)に学び、最優秀の成績で卒業。オーストリア政府学術・芸術協会より名誉賞を受賞する。そして、早くもこの頃、ウィーンすべてのオーケストラ(ウィーンフィル、オーストリア放送響、ウィーン交響楽団など)で、代理奏者として演奏活動をしていた。その後、19歳よりウィーン・フォルクスオーバー管弦楽団、オーストリア放送交響楽団で、5年間首席クラリネット奏者を務め、あらゆる賞賛を受ける。1993年より、ベルリン・フィル首席クラリネット奏者を務め、現在に至る。また、1995年より、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤンアカデミーで教鞭を執っているほか、ヨーロッパ、アジアを中心に、国内外でソロ、アンサンプルと精力的に活動し功績を重ねている。
※1998年 発刊時点のプロフィールです