アンドレアス・オッテンザマー Andreas Ottensamer
7月、クラリネット界を揺るがすニュースが飛び込んできた。ウィーン・フィル首席クラリネット奏者エルンスト・オッテンザマー氏が急逝。国内でも多くのクラリネット奏者が彼の業績を悼んだ。しかし、父エルンスト氏の急逝にも関わらず予定通りアンドレアス・オッテンザマー氏は来日を果たした。クラリネット界、そしてクラシック界の貴公子とも称される彼に、エルンスト氏との思い出、10月から12月にかけて日本で行なわれた演奏会、そして彼が現在取り組む「マンハイム楽派」の楽曲に取り組んだニューアルバム「New Era」について大いに語ってもらった。
(写真:橋本タカキ、取材協力:ヒラサ・オフィス、通訳:井上裕佳子)
一緒にステージに上がれたことが一番の思い出
─去る7月22日にお父様で偉大なクラリネット奏者でもあったエルンスト・オッテンザマー氏が他界されました。このニュースは日本でも驚きと悲しみをもって報道されました。
アンドレアス・オッテンザマー(以下O):ご存じかとは思いますが、私は音楽的な一家の中で育ちました。特に楽器という意味で一番大きな影響を受けたのはもちろん父でした。やはり思い出というと一緒に演奏したこと、一緒にステージに上がって演奏できたことが一番特別に感じます。 ─そのような状況にも係わらずほぼ予定通りに公演を続けられていらっしゃいますね。
O:ご想像がつくとは思いますが、このように演奏活動を続けるのは楽なことではないです。しかし自分が楽しいと思っていることを辞めるのは誰のためにもならないし、自分自身もそれで癒されるということはまったくないわけですから。なんでもそういう時には役に立つと思っています。人生は止められるものではないですし、すべてのことが自分が前進するために役立っていると思います。
クラリネット、そして音楽史における「新時代」
─最新アルバム「New Era」をリリースされました。今回のアルバムのタイトルに込めた思い、そして「マンハイム楽派」の作曲家たちの作品を取り上げた理由をお聞かせください。
O:マンハイム楽派の時代(18世紀)は音楽史の中でも重要な時期です。音楽の発展という意味では夜明けのような新しい時代ということを思わせます。多くの方はシュターミッツのことをあまりご存じないと思うのですが、このすべてが小さな村であるマンハイムというところで始まったのです。シュターミッツがマンハイム派を作り、その中で大勢の人たちが音楽に携わりました。そこにマンハイムのオーケストラがあり、それはヨーロッパ中でも非常に有名でした。モーツァルトもそこを訪れ、彼らの音楽を聴くことがあったということです。そしてそのオーケストラの楽団員はそれぞれ作曲もしますし、演奏もするので、非常に知的水準が高い集まりだったと言えると思います。お互いのために協奏曲を書く、といったこともやっていたそうです。そこに優秀なクラリネット奏者がいたので、オーケストラの中に入っていき、クラリネット協奏曲が書かれるようになりました。全員が作曲、指揮、演奏ができるのでものすごく内容の濃縮されたやりとりができ、新しい時代が到来したのです。特に我々クラリネット奏者にとっては非常に重要な時代だったと言えるのです。これは雑誌「The Clarinet」においても非常に大切なことと言えますね(笑)。
続きはThe Clarinet vol.65をご覧ください。
アンドレアス・オッテンザマー Andreas Ottensamer
1989年、オーストリア・ハンガリー系の音楽一家に生まれる。早くから音楽に親しみ、4歳でピアノを始め、10歳になるとウィーン国立音楽大学でチェロを学び、2003年にクラリネットに転向、ヨハン・ヒントラーに師事した。その間、ピアノ、チェロ、クラリネットの各楽器で数々のコンクールにて優勝を果たす。その後、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィル、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラで、オーケストラ奏者としてのキャリアを開始。2009年、ハーバード大学在学中にベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミーに入学。その後わずか21歳で、ベルリン・フィル首席クラリネット奏者に就任。現在、世界で最も注目を集めるスター・クラリネット奏者として活躍をしている。 室内楽奏者としても、ペライア、アンスネス、カヴァコス、ヤンセン、ヨーヨー・マ等と共演しているほか、アンサンブル・ウィーン=ベルリンのメンバーとしても活動。また、スイスのビュルゲンシュトック音楽祭の芸術監督をピアニストのホセ・ガヤルドと共に務めている。 2017年2月には、名門デッカとクラリネット奏者として初めて専属レコーディング契約を結び、デビューアルバム「New Era」をリリースして話題となる。