ホップ・ステップ 米倉森 -DAC若手演奏家リサイタルシリーズ vol.55-
DAC若手演奏家リサイタルシリーズ ホップ・ステップ vol.55 米倉森
日時:2024年4月23日 19:00開演
会場:スペースDo 管楽器専門店ダク地下
出演
米倉森 / クラリネット
黒岩航紀 / ピアノ
曲目
R.ガロワ=モンブラン:演奏会用小品
J.ヴィトマン:ファンタジー
D.ミヨー:デュオ・コンチェルタンテ
B.コヴァーチ:リヒャルト・シュトラウスへのオマージュ
R.シュトラウス:ロマンス 変ホ長調
J.ブラームス:クラリネットソナタ Op.120 第1番 ヘ短調
2024年4月、十亀正司氏がプロデュースをするリサイタルシリーズ「ホップ・ステップ」vol.55が、東京・新大久保のスペースDoで開催された。「才能ある若手演奏家たちに演奏の機会を作ってあげたい」という気持ちから立ち上げられたプロジェクトであり、未来のトップ・プレイヤーたちがこのリサイタルで「ホップ・ステップ」から「ジャンプ」をしていく。今回登場したのは、10年間にわたるドイツ生活を終え、一昨年に完全帰国をしたクラリネット奏者 米倉森。これまでにベルギー、オーストリア、ドバイなど多くの国でオーケストラメンバーとして活動してきた実績を持ち、ドイツではブランデンブルク州立管弦楽団エバーズヴァルデにて首席クラリネット奏者を務めるなど、若くして多くの経験を積んできたプレイヤーだ。その実力の高さを知ってはいたものの初めてソロを聴ける機会とあり、筆者も一人、密かに期待を高めていた。
そしてその期待は、それを遥かに上回る衝撃でもって叶えられた。
この「ホップ・ステップ」は、出演者と十亀氏が一丸となり、プログラミングからこだわり抜いて作り上げている。演奏会の一曲目は試金石であり、奏者の技量、演奏会のコンセプトなどを観客が最初に受け取るものである以上、その選曲は重要だ。そんな大役を担う一曲目に選ばれたガロワ=モンブラン『演奏会用小品』は、今宵のステージへ観客を誘うピースとしてこの上ない選曲だった。直後のMCで米倉が語った通り、この曲はクラリネットの最低音ミから始まる。海の底から湧き上がるように、あるいは宵闇の中からポッと光を灯すように、静かに奏されたただの一音が、その場にいるすべての聴衆の心を射抜き、この後一音たりとも聴き逃すまいという姿勢にさせた。最も緊張感の高まるファーストノートの完璧な成功をもって、極上の演奏会が始まったのだ。さて、前半では3曲が演奏され、一曲目がこの『演奏会用小品』。三曲目がミヨー『デュオ・コンチェルタンテ』と、フランス物が2曲プログラミングされている。その間に挟まれたのが、ドイツの才人ヴィトマンの『ファンタジー』である。静動のコントラストが極端にカリカチュアライズされたこの曲は、自身もクラリネット奏者であり、クラリネットの性能を熟知したヴィトマンらしく特殊奏法も多く使われる、今演奏会随一のコンテンポラリー・スタイルである。美しく鮮明なガロワ=モンブランにたゆたう聴衆に一層の緊張感を与え、演奏への没入はより深化する。米倉の持つ多彩な表現の幅をこの2曲で示し、ステージはすでに彼女の独擅場だ。続くミヨー『デュオ・コンチェルタンテ』は、軽快なリズムが特徴的なピース。直前の『ファンタジー』とは似ても似つかない真逆の世界は、暗く深い森を抜けた先に美しい山間の草原を見たかのよう。明るく生き生きと紡がれるミヨーの世界が、余すところなく全身で表現される名演であった。
後半はドイツ物がプログラムされている。まずコヴァーチ『リヒャルト・シュトラウスへのオマージュ』。名だたる作曲家へのオマージュ作品で構成される「オマージュ集」という曲集からの抜粋であり、曲中にリヒャルト・シュトラウス作品の断片が散りばめられている。『リヒャルト・シュトラウスへのオマージュ』からリヒャルト・シュトラウス作品へつなげる、という発想で選ばれた次曲はリヒャルト・シュトラウス『ロマンス 変ホ長調』。ラブ・ロマンス映画のように甘く優しく、ささやくように愛を歌う。エーラー式に通ずるあたたかく繊細な米倉の音色はこの『ロマンス』と極上のマリアージュを描き出し、聴くものの心にじんわりとあたたかな感情を抱かせる。メインのブラームス『クラリネットソナタ Op.120 第一番 ヘ短調』は、クラリネット・ソナタの最重要ピースの一つ。やはり特筆すべきはその音色の豊かさと美しさであり、すべての音が均一に美しく響き、場面ごとに万化する音色が曲の彩りを鮮やかに発色させる。また、今回伴奏を担当した黒岩航紀は研究テーマとしてブラームスを扱っていたとのことで、MCでも大変分かりやすくソナタについて解説していたところから、彼の造詣の深さがうかがえる。それはもちろん演奏にも表れており、明朗な音運びや自然でダイナミックな歌い方は、曲を熟知した者こそ奏でられる自信に満ち溢れたものであった。アンコールとしてマックス・レーガーの『アルバムの綴り』を演奏。米倉森という才能を自由に描き出し、聴衆を魅了し続けたリサイタルを、静かに美しく締めくくった。