カレン・ヒース Karen Heath
オーストラリア・メルボルンで誕生した現代音楽のユニットThe PhonosProject は、ドイツの現代音楽作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンが開催する講習会で出会った音楽家たちが結成しました。このユニットの音楽監督を務めるクラリネット奏者のカレン・ヒースさんに話を聞きました。その一部をここで紹介します。
photo by Zoey Pepper
─クラリネットや他の管楽器を始めたきっかけ、どんな音楽環境で育ったかなど、ヒースさんの音楽歴を教えてください。
ヒース:私がクラリネットを始めたきっかけは、ひょんなことからでした。私は9歳の頃に、小学校でヴァイオリンとオルガンで音楽教育を受けはじめました。中学生になると、先生が私にはグレードアップした楽器が必要だということを、両親にアドバイスしました。家にオルガンはあったのですが、買い換える余裕もなかったし、そのままオルガンのレッスンをやめてしまいました。そして高校に入ると、ヴァイオリンのレッスンもやめてしまったんです。なぜならオルガン同様、楽器を買うことや校外でのレッスンを受けることもできなかったからです。
当時学校には、サックス、クラリネット、フルート、そしてドラムや金管楽器があり、その時は私はサックスがやりたいと思いました。しかし母に話すと「サックスは大きすぎるわよ。フルートにしたら?」と。そんな経緯があって、私はフルートのレッスンを受けることになったのです。
それから2、3ヶ月後、私は歯の矯正を始め、矯正器具を付けるようになりました。すると音楽主任の先生が私に向かって「なんて残念なの。その歯ではフルートは吹けないわよ。クラリネットにしたらどう?私が教えてあげるわよ」と言ったのです。それから15年後……大学を卒業する時に、先生が私に何を言ったと思いますか?
「あなた、本当は矯正をしていてもフルートって吹けるのよ!私があなたにクラリネットを教えたかっただけなの!」
こうして、偶然にもクラリネットを始めることになったのです。
─ヒースさんはThe Phonos Projectの音楽監督もされていますが、プロデュースする立場では、音楽をどんなふうに見せたいと思いますか?
ヒース:プロジェクトのために私の全時間を捧げられれば、どんなに良いだろうと思います。 いま私はアーティストとして、数多くのプロジェクトで活動することが可能になりました。和子(フルーティストの井原和子さん)とヘンリック(作曲家のヘンリック・デネリンさん)との仕事もとても充実していますし、オーストラリアではもうひとりコアメンバーとして、ピアニストのRohan Murrayがいます。彼は信じられないほどのパフォーマーで、新しい音楽への強い意欲を持っているので、いつも刺激をもらっています。アンサンブルの行く先を、これからもっとゆっくりと見ていきたいと思っています。重要なのは、演奏で可能な限り新しい観客とつながること。それが未来への私の希望です。
インタビューはまだまだ続きます。The Clarinet vol.68をチェックしてください!
カレン・ヒース Karen Heath
クラリネット奏者・作曲家。演奏家としては、The Libra Ensemble、Aphids、Victria、Sunwrae Ensemble、The Grand Silent System、Ennis Tola、The Phonos Project、Arcko Symphonic Project、Gemma Turvey、New Palm Court Orchestra に出演。メルボルン国際ジャズフェスティバル、インターナショナル・アーツ・フェスティバルに参加。また数多くの映画祭やフェスティバルに録音が起用される。2008 年、Arcko Symphonic Projectでハウリングを学んだことを発表し、2009年にオーストラリア古典作曲賞のAPRA賞にノミネートされた。2014年には、シドニーオペラハウスやメルボルンリサイタルセンターなど、パームコートオーケストラツアーに参加し、2005年には、クラリネットで音楽演奏の修士号を取得。その後、ヴォルフガング・マイヤーとスザンヌ・スティーブンスのレッスンを受けに渡欧した。キュルテン(ドイツ)シュトックハウゼン講習会ではリハーサルとパフォーマンスをシュトックハウゼン氏から直接学び、2度の賞を受賞。作曲家として、2006年にはメルラン・フリンジ・フェスティバルで50分間の暗譜と振り付けの曲『アナンケ』でベスト・ミュージック賞を受賞。モントリオール、エジンバラ、東京(2009年と2012年)、レイキャビックで委嘱を受け作品が発表されている。
カレン・ヒース