クラリネット記事 王 弢 × 橋本眞介
  クラリネット記事 王 弢 × 橋本眞介
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YAMAHA Special Interview _The Clarinet vol.71拡大版

王 弢 × 橋本眞介

2019年9月5日、ヤマハミュージック名古屋店にてマスタークラス&ミニコンサートを行なうために、北京・中央音楽学院で教授を務めるワン・タオ氏が来日した。この日は現在、名古屋音楽大学で准教授を務める橋本眞介氏も駆けつけ、日中トッププレイヤーによる対談が実現。中国・日本のクラリネット事情や、ヤマハ・クラリネットの魅力などクラリネット談義に花が咲いた。

 

取材協力:ヤマハミュージック名古屋店/ヤマハ株式会社

写真撮影:橋本タカキ

 

 

クラリネットは競争率が低い!?

─ワン・タオさんの出身地は中国のどちらですか?

ワン・タオ(以下、ワン):四川省出身です。環境が豊かな美しい町で、なにより食べ物がおいしいですね。

 

─日本人も四川と聞くとまず、食べ物を思い浮かべると思います。ワン・タオさんがクラリネットを始めたきっかけは?

ワン:クラリネットを始めたのは小学3年生、9歳のときですが、5歳のときからチェロを習っていました。そのチェロの先生に「小指が曲がっていて伸ばしきれていない」と指摘され、チェロには向いていない指だということがわかりました。それでクラリネットを勧められて始めたのです。このときは個人レッスンでしたが、音楽大学付属の中学校に入り、それからは学校でクラリネットを学びました。

 

─中国ではクラリネットがさかんなのでしょうか?

ワン:私が学生だったころよりもクラリネットを学ぶ学生は増えています。実は私がクラリネットを始めるとき父が「クラリネットのほうが競争率が低い」と言っていました(笑)。チェロよりも学んでいる人が少なかったので、この道を進めばいいのだと思ったのですが、意外と競争率が高くて騙された気分です(笑)。
現在の中国では各学校に吹奏楽部があります。クラリネットは吹奏楽で重要な楽器なのでたくさんの生徒がクラリネットを吹いています。

─日本では吹奏楽コンクールが毎年開催されているのですが、中国でもコンクールは開催されていますか?

ワン:中国は広く人口も多いので、各地域で開催されるコンクールは数え切れないほどあります。主に地域や企業が主催しているのですが、日本のように全国規模で行なわれるコンクールは少ないです。広大な国土を持つ中国では、全国大会となると国が主催しないとまとまりません。そのため、1年ごとの開催は難しく2~3年に1回開催されています。

 

─橋本さんは長年オーケストラに所属されていましたが、現在は後進の指導を積極的に取り組んでいますね。

橋本眞介(以下橋本):広島交響楽団に27年間在籍しましたが、教育活動に専念したかったので2016年3月に退団しました。現在は、名古屋音楽大学の准教授を務めています。名古屋は縁もゆかりも知り合いもまったくいなかったのですが、新しい人生を歩むという意味では知らない場所のほうがかえって面白いかなと思ったんです。

 

 

 

─日本の現状はいかがでしょうか? 以前より学校の吹奏楽部のクラリネット吹きは増えていますか?

橋本:今はトランペットやサックスに人気が集中しています。実際に吹奏楽コンクールでもクラリネットよりトランペットのほうが多い学校もあります。昔は先生が上手く学生を振り分けていたのですが、今は生徒がやりたいと思っている楽器を優先している印象です。それが普通かもしれませんが、ある学校はクラリネットが少なすぎて金管の音しかしないような感じになっていたりします。

ドイツの音楽や言葉を理解しているのはうらやましい

 

─ワン・タオさんは中国の音楽大学では唯一の重点大学に選出されている中央音楽学院で教授をされていますが、同学院の教育方針などを教えてください。

ワン:音楽を専門とする大学の中で唯一政府に認可されているのが中央音楽学院です。日本でいうと東京藝術大学と似ていると思います。
中央音楽学院のスローガンとしては「中国だけではなく世界トップの音楽家を育成する」というものがあります。ピアニストとして世界的に有名なラン・ラン(LANG・LANG)も中央音楽学院を卒業しています。アジア全般的に言えると思いますが、生徒は幼いころから練習を重ねてきて、卒業したら西洋音楽を勉強しているから海外に行きたいという学生も多いです。
現在、同学院には付属高校も含めて30数名ほどがクラリネットを学んでいます。今年は2名が入学しました。私の故郷である四川の音楽大学では80名の生徒がいますので、他の学校と比べると生徒数は少ないです。

 

─橋本さんにもお聞きしますが、現在、名古屋音楽大学で准教授をされていますが、同大学の教育方針などを教えてください。

橋本:名古屋音楽大学の僕の生徒は18名ですが、クラリネット全体で23名になります。一般的にオーケストラ、吹奏楽、室内などの実技、座学では音楽史など一般の音楽大学と変わらないと思います。特に名古屋音楽大学はオーケストラも吹奏楽も室内楽も、アンサンブルだという方針で、クラリネットアンサンブルだったり、ほかの楽器とのアンサンブルだったりと、室内楽の授業が多く管楽アンサンブルを重要視しています。同時にソルフェージュ改革も行なっています。アンサンブルをやるにもソルフェージュができていないといけないのですが、最近の音楽大学はソルフェージュにあまり力を入れていないところが多いと思います。そのため、音楽大学に入ってからもソルフェージュをもっとしっかり取り組むということを行なっています。
また、けっして学生全員がプロを目指しているわけではなく、教員になりたいという生徒もいます。そういう子たちはバンドクリニック研修という授業があり、教員になったら、こんな部活の運営をしたり、こういった指導法を行なうことでより良くなる、ということを授業で教えています。

 

─ワン・タオさんはイギリス、アメリカに留学されていますが、中国と比べて指導の仕方などに違いを感じましたか?

ワン:中国の先生は「このようにやろう」「こういうふうに吹こう」という指導ですが、アメリカやイギリスでは「どうしたいのですか?」と聞かれます。自分のやりたいようにするというのが欧米の教育ではないかと思います。私が「ここはどうしたらいいですか?」と聞くと、「どうしたいのですか?」と逆に質問されます。根本的に教育システムが違うと感じました。

 

─イギリスではマイケル・コリンズさん、アメリカではリチャード・ストルツマンさんに師事されていましたが、どんな先生でしたか?

ワン:リチャード・ストルツマンさんは、表現力など音楽性に対してとても厳しい方でした。マイケル・コリンズさんは表現の細かい部分を指導されることが多く、とても繊細な方で、音楽的にも繊細な印象です。

 

─橋本さんもドイツに留学されていますね。指導について衝撃的だったことなどはありましたか? 

橋本:僕はドイツという国、街の風景、ドイツのオーケストラ、先生だったザビーネ・マイヤーをはじめとするドイツのクラリネット奏者が好きだったのでドイツを留学先に選びました。また、ベートーヴェンやブラームスが住んだところに住んでみたかったというのもありました。だから、ドイツのイメージは行く前からあったので、指導について180度違うな、ということはなかったです。でも、ドイツ語に関しては日本語にない言葉がありました。
例えば、「ムジツィーレン(Musizieren)」という「音楽をする(奏でる)」を意味する動詞があります。また「クリンゲン・ラッセン(Klingen Lassen)」という「響かせて」を意味する言葉があり、日本でも最近よく使われますが、以前は「鳴らす」という言葉しかなかったと思います。「部屋いっぱいに音を充満させる」「豊かな倍音を発する」といった意味で使いますが、当時の日本では教わらなかった言葉です。ドイツではよく響く場所で練習したり演奏したりするので、その響きを感じることが多いんですね。音楽と響きが直結しているから、そういう言葉があるのではないかと思います。ドイツ音楽に関して、特にブラームスなどでは内面的なことも教わるので、ブラームスが住んだ土地、風景、食べ物、飲み物、ビールなど、そういうことを体験しないとわからないことがあります。冬は14時くらいには暗くなるし、朝は11時くらいにならないと明るくならない。これを肌で感じたかったんです。白夜の逆、黒夜のような(?)、これらは衝撃でした。
音楽を学ぶことは日本でもできることかもしれないけど、その土地に行かないと感じられないことは音楽以外にも学ぶことが多かったですね。

 

─ザビーネ・マイヤーさんはどんな先生でしたか?

橋本:とてもフレンドリーな方です。最初に「どう呼んだらいいですか? サビーネさん? マイヤーさん?」と聞いたら、「じゃあ、私はあなたのことを橋本さんと呼ばないといけないの? 私たちはそんな関係じゃないのよ」と。実は僕と彼女は5歳しか違わないので年齢が近かったということもあったかもしれないですけど、とてもラフなレッスンでしたね。
ただ、音へのこだわりは強かったです。1つの音でいろんな音色が出せる、例えば、ピンと張った音とか、充満させる音とか、そういった奏法的なこと、響かせ方、身体の使い方などを半年くらいやりました。なかなか曲にいかせてくれない感じでしたけど、僕としては嬉しかったですね。

 

─その基礎的な指導を受けていた半年間で考え方などは変わりましたか?

橋本:僕は大学4年生でオーケストラプレイヤーになったので、修行の時間がなかったんです。だから、現場、プロのオーケストラでいろいろ学ぶしかなかった。でも、このままでいいのか、と思い、2年間休みをもらってドイツに行かせてもらったので、自分を見つめ直すいい機会でした。良かったし、ラッキーだったと思います。

 

─留学では言葉の習得も大事だと思います。言葉を覚えるのにどのくらい時間がかかりましたか?

ワン:留学先は英語圏ですので、幼いころから英語教育を受けていてそんなに大変ではなかったです。先ほど橋本さんがドイツ語の話をしていましたが、西洋音楽ではドイツがとても重要で、その国の言葉がわかって、さらに音楽がわかるというのはうらやましいです。私はドイツ語ができないので覚えたいなと思いました。

橋本:中学から学校教育で英語を学んでいましたが、ドイツ語はほとんど独学です。ドイツに行く前に自分で単語だけでも覚えようと必死に勉強して、ドイツに行ってからドイツ語学校に3か月だけ通いましたが、あまりためにはならなかったですね。それから友人はできて、先生と話しているうちにだんだんわかるようになって、さらに一緒に酒を飲んだりするようになって、だんだん覚えていった感じです。1年くらいドイツで生活してだいぶわかるようになりました。
でも、今は日本に帰ってきて20年くらい経つので忘れていることもあります。

音色のコントロールが容易

 

─さて、お二人とも最高級のグラナディラ材を採用したヤマハクラリネット(YCL-SE Artist Model)を使用していますね。いつごろからアーティストモデルを使われていますか?

ワン:中国ではヤマハ以外のブランドの楽器が大半を占めていて、みんな同じ楽器を使っています。そんなこともあって、私自身は他の奏者とは違う新しいサウンドを求めていて、ずっと探していました。でも当時、ヤマハのアーティストモデルについて、あまり情報がなかったんです。そして2016年にファンからヤマハのアーティストモデルをプレゼントされ、それがきっかけになって使い始めました。

橋本:小学生からヤマハのクラリネットを使っています。当時はいわゆるプラ管です。バイクもヤマハなんですけど(笑)、大学のころはSEシリーズを使っていて学生時代はずっとヤマハの楽器でした。その後、一時期、他メーカーの楽器を使っていましたが、オーケストラでアーティストモデルを試したら、特に弦楽器から「クラリネットの音いいね、替えたの?」と言われたんです。弦楽器の人がいいと言うんだから、と思ったのと、木の材質がよくなって、ポストが金メッキになったり、低音補正キイが付くなど吹いた瞬間に楽器が進化しているのがわかったことも替えた理由の一つです。使い始めたのは発売された当初で、4年くらい前です。

 

─ヤマハでは楽器づくりにおいて重要な木材の資源量が減少していることから、永続的にグラナディラ(アフリカン・ブラックウッド)が使えるように、生態を調査しながら、2017年から植林活動をタンザニアで行なっています。

ワン:知らなかったです。日本のみなさんは知っているのですか?

橋本:みんなが知っているかどうかはわかりませんが、ヤマハのWebサイトで紹介されています。

ワン:とても素晴らしい取り組みです。

橋本:今、植林しても楽器として使えるようになるのは70~80年後です。僕はもういないと思いますが(笑)。次世代につなげるという取り組みです。

 

(ヤマハのサイトへ:https://www.yamaha.com/ja/csr/feature/feature_04/)

 

─ヤマハクラリネットの魅力を教えてください。

ワン:ヤマハのクラリネットは総体的に明るいサウンドです。大きなホールなどで響かせるためにも明るいサウンドのほうが音を遠くまで届けられます。現在、ダークなサウンドも流行っていますが、私は明るいサウンドのほうが好きです。もちろん、ヤマハのクラリネットはダークなサウンドにすることもできますし、音色のコントロールが容易です。

橋本:僕もワンさんと同じ意見なのですが、音色のコントロールがしやすいので明るい音もダークな音も自由に変えられます。吹奏感もいいので無駄な息を使わなくていいですし、そういう意味では自由に音楽を表現することができます。ヤマハのクラリネットが中・高校生に愛される理由はこの吹奏感もあると思いますね。それに音も、低次倍音を多く含んでいて太く芯があってどっしりと聴こえるんです。

ワン:いま思い出したのですが、私はクラリネットを始めた当初中国製の楽器を使っていました。中学から音大付属に入り音楽の道を進むということで、サッカー選手の父が交流試合で広島に行ったとき、ヤマハのクラリネットを買ってきてくれたんです。その当時はもちろん中国にヤマハの楽器は販売されていなくて、四川では最初にヤマハのクラリネットを使った奏者だと思います。その楽器のおかげでコンクールで優勝することもできました。

橋本:僕が広島にいたころですか?

ワン:父が広島に行ったのは27年前ですから、私がヤマハの楽器を買ってもらったのは1992年です。

橋本:僕がオーケストラに入った年です(笑)。

 

 

─お二人の楽器を見せていただけますか?

ワン:キィの色が違いますね。

橋本:ピンクゴールドにしました。

ワン:このキイはどうしたんですか?

橋本:ヤマハのアトリエで改造してもらいました。キイだけを購入してピンクゴールドメッキにしてもらって取り付けてもらったんです。それで合わなかったら元に戻そうと思っていたのですが、良かったのでそのままにしています。

ワン:とてもうらやましいです(笑)。ステージでも映えますね。音は変わりますか?

橋本:シルバーよりも多少、抵抗を感じるかもしれないですけど、響きが増すのでいいですよ。

ワン:私もゴールドにしたいです(笑)。

橋本:日本でキイをピンクゴールドにしているのは2人だけ。僕と、コハーンです。元々ポストがピンクゴールドなのでキイを同じ色にしています。シルバーよりも汚れが付きにくいので掃除がラクですよ。

─現在のセッティングを教えてください。

ワン:マウスピースはバンドーレンB40、リードはレジェールの3または3 1/4。中国は広いので各地域の気候がかなり違います。サウンド的にも安定するので樹脂製のリードを使っています。リガチャーはモモのBabyうさぎです。友人から譲り受けました。他にリガチャーはBGやWood Stoneなども持っていて使い分けています。

リガチャー

橋本:マウスピースはバンドーレンB40ライヤー、リガチャーはBGのジャーマンシステムです。リードはダダリオのレゼルヴ・クラシックの3.5。実はリード研究会というサークルを作ったんです。クラリネットのほかにサックスの生徒もいて、樹脂製リードとケーン製リードの音を聴いたときに違いがわかるかどうか、ケーンをプラスチック化するにはどうしたらいいのか、などを研究しています。ということで、樹脂製リードもケースに入っていたりします。

リガチャー

学生の国際的な交流と楽器の普及

 

─ワン・タオさんは昨年アルバムをリリースされていますね。アルバムのコンセプトや収録曲など、どんな内容なのか教えてください。

ワン:アルバム「spin・旋」は日本で収録しました。軽井沢の大賀ホールです。このアルバムはダンス、舞曲をテーマにしています。クラリネットはもちろん管楽器の中ではメジャーですが、弦楽器などに比べるとマイナーな楽器です。だから、みんなが知っているような有名曲を入れたいと思って、ピアソラやチャイコフスキーなどを収録しています。

 

─ピアニストは日本人ですね。

ワン:福原彰美さんです。彼女は中国でチェリストと一緒にコンサートを開催したことがあって、私の事務所の関係者がそのすばらしい演奏を聴いてオファーしました。

 

─橋本さんは12月にヤマハミュージック名古屋店が企画するコンサートを控えていますが、いま言えることだけでいいのでプログラムの内容や意気込みなどをお願いします。

橋本:僕が名古屋に来てから、僕と名古屋フィルハーモニー交響楽団首席のロバート・ボルショスが中心となって、毎回ヤマハプレイヤーを呼んでコンサートを開催しています。コハーン、マイケル・コリンズなどに出演してもらいました。今回は「ヤマハ・クラリネット女子」をテーマに、ヤマハの楽器を使っている優秀な音大生にゲストとして登場してもらいます。僕らと一緒に、ヤマハのクラリネットのアンサンブルをやってみようという企画です。3人出演しますが、みんなアーティストモデルを使っています。もちろん、僕とボルショスのソロもあります。

 

─現在クラリネットに関することで最も力を注いでいることは?

橋本:音楽大学が中心になりますが指導に力を入れています。今の学生は、僕らの時代にはないインターネットも普及していてレベルも上がっているのに、まだ奏法ができていない子が多いです。僕が学生時代に衝撃を受けたのは仕掛けについて教わったことです。仕掛けというのはマウスピース、リード、リガチャーのセッティング、それにアンブシュアなども関わっています。僕の師匠は音を変えてくれて、自分でもいい音になったことを実感しました。僕もこれまでに習ったことを同じように伝えていけば生徒の音も変わるだろうと考えています。僕の役目は奏法的なことはもちろん、アンブシュアや仕掛けをその生徒に合うものに変えてあげて、歌手でいうと声が変わるくらいの大きな変化が得られることを伝えていくことだと思っています。

ワン:これからもしばらくは演奏家として活動していきたいと思っています。なぜなら、中国ではまだまだクラリネットという楽器が普及していません。より多くの人にこの楽器を知ってもらいたい、そしてこの楽器で素晴らしい音楽ができるということを届けたいという気持ちがあるからです。中国は一つの県だけでも日本の半分くらいの広さだったりします。だから隅々まで回るだけでも時間はかかりますが、今後も全国各地を回るコンサートツアーを行なっていきたいと考えています。

橋本:もちろん僕も演奏活動をしていますので、世界中で誰もやっていないことに取り組もうかなと。ここで話すと真似する人もいるので言わないでおこうと思っています(笑)。

 

─そこをなんとかお願いします!(笑)

橋本:伴奏CDでよく演奏することがあるのですが、まずその伴奏をライブで自分が演奏するとどうなるのかと考えたんです。そこで、ギターやベースの短いフレーズを重ねて録音・再生する「ルーパー」というのがあって、これをクラリネット版にしたらどうなるのか、そんな研究をしています。いわばクラリネットでの多重録音ライブです。自分の録音したものがスピーカーから流れて、さらに重ね録音をして、最終的に旋律を吹くという感じです。実は12月のコンサートでやろうと思っています。たぶん伴奏だけ聴いていてもどんな曲なのかわからず旋律を聴いたときに初めてわかるので、サプライズが楽しめます。

 

─今後予定しているプロジェクトがあれば教えてください。

橋本:日本ではよくやっているんですけど、最近台南大学のプロフェッサー(教授)とつながったので来年3月にクラリネットの生徒を台南に連れていって、向こうの生徒と一緒にクラリネットクワイアをやることになりました。今回、北京の中央音楽学院の教授であるワンさんとこうしてつながったので、生徒間の交流などもやってみたいですね。先生とはよく会うのですが、生徒同士の交流は少ないので、僕らが主導でやっていきたいと思っています。
まずはアジアとつながるのを一番に考えています。近年、中国、韓国、台湾、日本の学生はだんだん同じレベルになっているのを感じます。でも、それぞれ何かが違うんです。日本の学生は技術力が高いけど、ハートが弱い。でも、中国の学生は心に熱いものを持っていてハートがとても強いけど、技術が少し劣る。韓国も同じような感じで、音楽性は高いけど奏法的な部分が違ったりします。そういう違いがあるので、お互いに刺激し合えればいいなと思います。最近の国際コンクールでも中国や韓国の奏者が上位に入ったりしていますが、中国人や韓国人はヨーロッパやアメリカにも受け入れられるような音楽性の部分が日本人よりも上回っているんです。日本人に足りないのはその部分、音楽性の部分です。先生に言われないと、いい音楽ができない。僕はコンクールの審査員もやっていますが、みんなの演奏がすべて同じように聞こえます。でも、中国のコンクールではいろんなタイプがいて、表現力が豊かです。日本人はいい音で演奏しているので、もったいないと思います。

 

─ワンさんはいかがでしょうか?

ワン:山奥や地方にある学校は音楽環境がないので、クラリネットを学生に紹介したり、クラリネットアンサンブルを作ったり、そういう授業もしていきたいと思っていて、徐々に進めています。
実は日本に来る直前に山奥にある地域でコンサートを行ない、子どもたちにクラリネットを紹介してきました。中国の人口があまりにも多すぎるので時間はかかりますが、これからも地道に続けていきたいと思っています。

 

─ありがとうございました。

 

「spin・旋」Wang Tao

王,Spin

【GE1607C】ユニバーサル・ミュージック
[演奏]Wang Tao(Cl)、福原彰美(Pf)
[収録曲]チャイコフスキー:「くるみ割り人形」変奏曲<Overture、March、Tarentella、Dance of the Sugar Plum Fairy、Trepak、Coda>、クライスラー:愛の悲しみ<Liebesfreud、Liebesleid、Schon Rosmarin>、パキート・デリヴェラ:クラリネットとピアノのための3つの小品集<Contradanza、Habanera、Vals Venezolano>、ピアソラ:タンゴの歴史<Bordel 1900、Cafe 1930、Nightclub 1960、Concert d'aujourd'hui>、ルトスワフスキ:ダンス・プレリュード<Allegro molto、Andantino、Allegro giocoso、Andante、Allegro Molto>

 

王弢(ワン・タオ)
Wang Tao

クラリネット奏者。四川省成都市生まれ。現中央音楽学院教授、修士課程指導教官、シンガポールラッフルズ音楽院客員教授。2018年度Yamahaアーティスト、ドイツG.Henle出版社プロモーション大使。11才より国内外の舞台で活躍。中国、アメリカ、フランス、オーストリア、日本、香港、台湾など多数の国や都市で何度もソロコンサートを開催。これまで中国フィルハーモニー管弦楽団、北京交響楽団、杭州フィルハーモニー管弦楽団、中国青年交響楽団、ハルピン交響楽団、四川フィルハーモニー管弦楽団、中央音楽学院交響楽団、深セン フィルハーモニー交響楽団などと共演してきた。文化部主催の第二回全国コンクール第一位、中国作品演奏賞に選出。「情熱にあふれ、人々を惹きつけるステージ、卓越した技術、他にはない個性を持つ演奏家」と称賛されている。10枚を超えるCDを国内外で同時リリースし、様々な音楽のフィールド、芸術の枠を超えた各種大型の音楽賞を多数受賞。また、国内外トップレベルの各芸術の舞台でパフォーマンスをいくつも行なってきた。向振竜教授、喩波教授、張梧教授、陶純孝教授に相次いで師事。「イタリア政府芸術奨学金」を獲得しているほか、イギリス王立音楽院にてクラリネットを大家マイケル・コリンズ(Michael Collins)教授に学んだ。教育部の「青年中堅教師」プロジェクトの支援を受け、高級訪問学者としてアメリカのニューイングランド音楽院(NEC)でも造詣を深め、世界的クラリネット奏者リチャード・ストルツマン(Richard Stolzman)教授に学んだ。その後、同氏の招聘を受け日本巡回公園のゲスト演奏者となっている。

 

橋本眞介
Shinsuke Hashimoto

香川県出身。高松第一高等学校音楽科、武蔵野音楽大学を卒業後、シエナウインドオーケストラを経て、広島交響楽団に入団。NHK-FM洋楽オーディション合格。NHK-FMリサイタル出演。1995年よりロータリー財団奨学生としてドイツ国立リューベック音楽大学に留学、クラリネットをザビーネ・マイヤー教授に師事。同大学修了試験を最高点で卒業。1997年帰国し同楽団に復帰。以後、NHK交響楽団等主要オーケストラに首席客演奏者として出演。ソリストとしては1992年~2016年に渡りたびたび広響とモーツァルトの協奏曲等を共演。1999年10月よりTSSテレビ新広島の音楽プロデュース。主宰する広島クラリネットアンサンブルより「タナトス」「チャールダシュ」「暁の変容」の3CDを㈱ブレーンよりリリース。第30回広島県民文化奨励賞受賞。全国各地でのクリニック、吹奏楽コンクールやアンサンブルコンテスト等の審査など幅広く活動。
現在、名古屋音楽大学准教授、活水女子大学客員教授、エリザベト音楽大学、明和高校音楽科、同朋高校音楽科各非常勤講師、ヤマハオフィシャルクラリネットアーティスト、日本クラリネット協会理事、広島クラリネットアンサンブル主宰、なにわオーケストラルウィンズ、CrazyClassixメンバー。
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王 弢 | 橋本眞介

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