民族の血とブルース
アメリカでは、かつて人気のエンタテイメント大作「風と共に去りぬ」が昨今、黒人の扱いで問題視され、今さらながら人種偏見問題として取りざたされた。私は、過去の娯楽大作と呼ばれる有名な映画に、どうしても好きになれない部分が実はあったので、これは嬉しいニュースでもある。
大先輩の水野晴郎氏がいつもこの作品を「ベスト1」としていたのに対し、私はまっこうから、遠慮しながらも異なる意見を述べていたものだ。
黒人を扱うこの時代の設定だけでなく、ヒロイン・スカーレットの強さが、筋道のない奔放さで、私には“女子力”のみにしか感じられず。男女平等の視点から違和感が残った。妹の恋人を奪い、自分だけやり放題で、明日は明日の風が吹く、ではないだろうと……。
「旅情」では、若くないヒロインが不倫と知って落胆するところを、相手の男性がヒロインの年齢をおもんばかり、受け入れるべし、と説くような展開など、名作には何かと封建的な思想が入っているので、困りものなのだ。
そうした時代を経て、アメリカ映画は娯楽大作以上に、時代を写すジャーナリスティックな視点を持つ作品が作られるようになってきた。あらゆる差別を撤回する方向で、映画は進展していくのだ。その中心は、まずユダヤ迫害の歴史であり、黒人差別であり、やがて女性差別、ヒスパニック、障がい者などのマイノリティーを対象に、弱者たちの心が描かれていく。
映画はまさに、弱者救済のメディアとなっていくのだ。
とりわけ黒人問題は、「マルコムX」のようなテーマを直視した政治的作品がある一方、黒人の音楽的才能を披露するエンタテイメント映画の中で、同時に差別の背景を扱うというマイルドなスタイルがある。
もはや、理不尽なユダヤ迫害と黒人差別など、歴史の間違いを学ぶためにアメリカ映画を観てきたようなものである。そこをスルーしては、映画を観る資格がない。
黒人のブルースを聞くとき、その背景に何があるのだろうか?
彼らの歌、曲の中に、詰まっている世界とは?
実際のところ、われわれの周囲で黒人については音楽の影響が大きすぎて、差別への理解どころか、過剰なまでのリスペクトしかない。
以前、マイケル・ジャクソンをモチーフにした舞台の演出をしたときも、ブルースの歴史が現代のポップスターへも脈々と語り継がれていることを私は再確認した。もはやモータウン・サウンドに想い入れがない歌手はいない。
さまざまな音楽映画が公開されてきたが、とりわけ本作「メイキング・オブ・モータウン」は「モータウン」創設者のベリー・ゴーディに密着取材を重ねたドキュメント。ゴーディが務める自動車工場の組み立てラインの音にヒントを得たことから始まった音楽製造会社、モータウンの長い歴史が、ダイアナ・ロスやスティービー・ワンダーなど、多くのヒットスターのコメントを交えながら描かれる。
まさに、音楽を振り返る珠玉の時間であると同時に、時代と人種差別抜きには考えられない時代背景を再確認する想い。モータウン・サウンドのノリとともに楽しめる、見たこともない映像をちりばめて、音楽の教科書と言える傑作だ。
一方、往年のアメリカ映画で人気だったジャンルとして、西部劇がある。映画的な視点では、多くの魅力がある作品があるものの、矢を持って悪役を背負うインディアンたちもまた、黒人と同じく白人との対立のなかの悪の存在でしかなかった。
現代派の私は、ようやく男の西部劇の世界が、女性ガンマンにとってかわられたり、ガンマンがホモセクシャルな恋愛をしたりと、過去ではありえない進歩的な展開とともに、ネイティブインディアンの存在が悪く描かれなくなったことに安堵を覚える。
時代の変化は、マイノリティーの勝利とともに表される。
音楽でも同様で、かつて前に出ることのなかったインディアンの血を引くミュージシャンたちが、徐々に明るみになっていく。
「ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち」は、インディアン出身のリンク・レイの“ランブル”を中心に、長く語られなかった彼らの歴史がひもとかれる。「誇りを持ち、口外するな」と言われながら、音を奏でるだけで特別なサウンドになる、まさに選ばれし民のサウンドだ。
リンク・レイは、ジョン・レノンやボブ・ディラン含め、最もリスペクトされたネイティブインディアン出身のミュージシャンである。西部劇タッチの音色が多く、映画では、アントーニオ・ヴァンデラスの「デスペラード」で、“ジャック・ザ・リッパー”が見事に作品の色を作った。ここでは、チェロキーの血を引くタランティーノもゲスト出演していたのが印象的だ。
ちなみにハリウッドでも、チェロキー族の血を引く俳優は、キャメロン・ディアスやケビン・コスナー、ジョニー・デップがいる。ミュージシャンでは、エルビス・プレスリーがアパッチ系白人で、スティーブン・タイラーやジミー・ヘンドリックス、ジェームス・ブラウンが黒人とアパッチ族のハーフで、音楽的には最高の血筋、と思えるのは私だけではないだろう。
かくして、時代とともに、映画においても人種による偏見や役割は顕著に変化したが、黒人、ネイティブインディアンは、特に民族の血による音楽の力が欠かせないものだったと言えるだろう。
音楽に携わる者は、社会の偏見を軽々と飛び越え、新しい文化をリードする。
こうした音楽映画の傑作をこれからは学校でも、上映すべきだと願う。
たぶん、音楽ファンなら、この2本を見ただけでかなりお腹いっぱいになって、しばらく何も観る必要がなくなるだろうが、このあとも次々と音楽ドキュメント映画の公開が待っている。
日本では、アイドルビジネス方式をメインステージにするのは、いつまで続くのだろうか? 日本のミュージシャンと音楽の歴史に、隔たりがあるような気がする。
何より、日本人による音楽映画が、少ないのは残念だ。
『メイキング・オブ・モータウン』
公開日:2020年9月18日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
監督:ベンジャミン・ターナー、ゲイブ・ターナー
出演:ベリー・ゴーディ、スモーキー・ロビンソン
配給:ショウゲート
2019/カラー/5.1ch/アメリカ、イギリス/ビスタ/112分/原題:Hitsville: TheMaking of Motown/字幕翻訳:石田泰子 監修:林剛
©︎ 2019 Motown Film Limited. All Rights Reserved.
http://makingofmotown.com/
『ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち』
公開日:2020年8月7日(金)より渋谷ホワイト シネクイントにて公開、他全国順次公開
監督:キャサリン・ベインブリッジ
出演:リンク・レイ、チャーリー・パトン、ミルドレッド・ベイリー
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム制作国:カナダ(2017)
©︎ Rezolution Pictures (RUMBLE)Inc.
http://rumblethemovie-japan.com/
木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com
N A H O K Information
木村奈保子さんがプロデュースする“NAHOK”は、欧州製特殊ファブリックによる「防水」「温度調整」「衝撃吸収」機能の楽器ケースで、世界第一線の演奏家から愛好家まで広く愛用されています。
Made in Japan / Fabric from Germany
問合せ&詳細はNAHOK公式サイトへ
PRODUCTS
[フルート]
C管 フルートケースガード 「Amadeus/wf」
フルート「Amadeus」シリーズは、NAHOKで最も歴史のある初期シリーズで、AMSと略して呼んでいます。同じ型でも、サイズ感や止水ファスナーへのバージョンアップなど、なんども改良して、落ち着きました。これさえあれば、とりあえずは楽器が安心の基本ケースです。
H管 フルートケースガード 「Amadeus/wf」
この型は、フルート縦持ちとなりますが、ブリーフケースへの収納も入れやすく、便利です。
AMSはシンプルなスタンダードデザインのほか、ドット(水玉)、西陣織を組み合わせたもの、新しいものはハンドルが本革のものなど、これらはすべて同じ型です。
[クラリネット]
クラリネットバッグ「Camarade/wf」
「Camarade/wf」 は、凸部分を調整してスマートな均一ラインにした型です。小物用ポケットは、ケース内にとりつけ、10本入りリードケースなどのかさばる小物が入ります。ハンドル2本仕立てにしたため、単体で持ちやすいデザインです。
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