クラリネット記事 第3回 |赤坂達三のクラリネット吹きができるまで!? 〜年譜・おしゃべり〜
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The Clarinet vol.9より転載 (2002年5月20日発売)

第3回 |赤坂達三のクラリネット吹きができるまで!? 〜年譜・おしゃべり〜

本誌の創刊から1年が経とうとする2001年、7号より連載「赤坂達三のクラリネット吹きができるまで!?」はスタートしました。クラリネットをはじめたきっかけや、師匠田中保人さんとの出会い、音大入学、留学からプロになるまでの道のりを、ご本人の趣味やおしゃべりを交えながら軽やかな口調で語っています。全10回の連載をどうぞお楽しみください。


出会いは衝動


連載当時のプロフィール画像より


昭和46年(1971年)父が脱サラをして独立したので、練馬区の社宅から港区 港南の公団住宅(9階)へ引っ越した。 そこで小学校に入学。2年後には、港区高輪の一軒家に引っ越すことになる。学校も高輪台小学校に転校することになった。
もはや世の中は受験ブームに突入しており、私も訳がわからないまま私立の進学校を受験することになった。中高一貫制で、“毎年何人東大に合格したか”のようなことだけを問題にしている学校だったが、かろうじて吹奏楽部はあった。なんとなく興味はあったが“やっぱり男は運動部でしょう”という風潮に流されて、剣道部に入ったのでした。そう、特に "これがやりたい”っていうものがなかったのです。当然剣道も長続きしなくなり……。中学2年の時、銀座のヤマハで一番安いクラリネットをなんと衝動買いしてしまった!
「なぜいきなりクラリネットを買おうと思ったのですか?」と聞かれる度にいろいろとこじつけて答えておりますが、本音のところ、私にもよく分からないのです。衝動買いですから「衝動的に」というのが本音のところ。
確か楽器の取り扱い方法と運指表は楽器についてきたので、それを見ながら手探りで吹きはじめました。正直言ってもっと簡単だと思ってた。音は出づらいし、運指を覚えるだけでも一苦労。ある程度はリコーダーに似ているので、あとは楽器をよく見て、管体が短くなるにつれ半音ずつ上がっていく様子を確認しながら覚えていったものでした。内心「オーボエにしなくてよかったな~」なんて思いながら。まあ私のお小遣いじゃとても手が届く価格ではなかったですが。
そうこうしているうちに、なんとなく好きなメロディラインなんかの音が並ぶようになっていた。そこで初めて吹奏楽部の門をたたいたのです。

 

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赤坂 達三 (あかさか たつぞう)
1964年東京生まれ。国立音楽大学で学んだ後、渡仏。87年パリ国際音楽コンクール第1位、91年トゥーロン国際音楽コンクール第3位、日本木管コン クール第1位など輝かしい受賞歴を持つ。テレビ、ラジオにも多数出演、99年春のNHK連続テレビ小説『すずらん』主題曲を吉田美奈子とデュエット、大きな反響を呼ぶ。CDにはゲーデ・トリオと録音した『ブラームス、モーツァルト:クラリネット五重奏曲』(02年)など多数リリース。世界的に演奏活動を展開し、エリザベト音楽大学で教授を務める。

次回更新もお楽しみに!

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