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THE FLUTE vol.195 Close Up
音楽は妄想劇場──作曲家が語る音楽のあるべき姿とは
フルートをはじめ多くの作品を作り続けている作曲家 清水研作氏。このたびフルートのための作品を発売したことからこのインタビューが実現した。作曲家から見たフルートとはどんな楽器なのか。そして演奏家として必要なものは何なのか——そのキーワードは“妄想”であった。
メイン写真:©魚住誠一︎
作曲家を本気で目指したきっかけ
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作曲家の清水さんがTHE FLUTEに登場するのは初めてですね。まず作曲家を目指したきっかけから教えてください。
清水
ピアノや和声のレッスンは受けていたのですが、高校を卒業するときに和声の先生から「日本にいるよりも海外に出たほうがいいのでは?」と言われたんです。
ただ当時は音楽家を目指しているわけでなく、ちょうどそのころ哲学家のサルトルがパリで亡くなり、多くの人がお葬式に参列しているのをテレビで見て、どんな人かと興味をもちました。それでアメリカに留学したときは哲学を勉強しようと思ったんですね。
ところがアメリカの教会でオルガンを聴く機会があって、その素晴らしさに感動してオルガンの勉強をするのもいいかなと思い始めました。要するにアメリカに渡った当時は、何を勉強すればよいか定まっていなかったわけです(笑)。
アメリカのオルガン雑誌を通じて出会ったのが林 佑子先生 で、教えていただくことになりました。後で知ったことですが林先生はサントリーホールのこけら落とし公演を行なった素晴らしい演奏家でした。
オルガンは教会で練習するしかないのですが、昼間は使えないから夜練習するわけです。しかも電気代がかかるから真っ暗な中で。教会って毎日お葬式やら何かがあるところなので、なにか魂や霊などがいて怖くなってしまうので、いろいろ妄想しながら練習していたんですね。
それを林先生にお話したら「そんなことわかっていたわよ。音楽で妄想といったら作曲よね。音で妄想するということが好きなんじゃない?」と言われて作曲の勉強をすることになりました。
ただ当時は音楽家を目指しているわけでなく、ちょうどそのころ哲学家のサルトルがパリで亡くなり、多くの人がお葬式に参列しているのをテレビで見て、どんな人かと興味をもちました。それでアメリカに留学したときは哲学を勉強しようと思ったんですね。
ところがアメリカの教会でオルガンを聴く機会があって、その素晴らしさに感動してオルガンの勉強をするのもいいかなと思い始めました。要するにアメリカに渡った当時は、何を勉強すればよいか定まっていなかったわけです(笑)。
アメリカのオルガン雑誌を通じて出会ったのが林 佑子先生 で、教えていただくことになりました。後で知ったことですが林先生はサントリーホールのこけら落とし公演を行なった素晴らしい演奏家でした。
オルガンは教会で練習するしかないのですが、昼間は使えないから夜練習するわけです。しかも電気代がかかるから真っ暗な中で。教会って毎日お葬式やら何かがあるところなので、なにか魂や霊などがいて怖くなってしまうので、いろいろ妄想しながら練習していたんですね。
それを林先生にお話したら「そんなことわかっていたわよ。音楽で妄想といったら作曲よね。音で妄想するということが好きなんじゃない?」と言われて作曲の勉強をすることになりました。
(※編集部注)林 佑子:1929〜2018。東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)オルガン科卒業後、米国に留学。1961年、ニューイングランド音楽院でアーティスト・ディプロマ取得。長く母校のオルガン科主任教授を務めて500人にのぼる生徒を育てた。
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めずらしい流れですね。
清水
そうなんです。だから最初は作曲のこともまったくわかっていませんでした。その後芸術と言えばパリですし、哲学科のサルトルのことを思い出したりしたのでパリに留学しました。
パリのルーブル美術館は、学生なら日曜日は無料で入れるのでよく行っていましたね。そこで2枚のボッティチェリの壁画を見たときに、急に自分がその中に入っていったような気がしたんです。不思議な感覚を持って美術館を後にしたのですが、その後にパリにあった日本書店に辻邦生先生の本が積んでありました。そのなかに「どくとるマンボウ」の作者北杜夫さんとの対談があって、辻邦生先生がボッティチェリの壁画をみたときに、自分が亡くなるような感覚を持った、と話されていたんです。それは私が壁画をみた30年ほど前の対談でした。そのときに芸術作品は永遠に残る。我々の人生なんて一瞬なんだと思って、私は作曲で芸術を残すのもいいかなと思い、それが本格的に作曲家を目指したきっかけとなりました。
パリのルーブル美術館は、学生なら日曜日は無料で入れるのでよく行っていましたね。そこで2枚のボッティチェリの壁画を見たときに、急に自分がその中に入っていったような気がしたんです。不思議な感覚を持って美術館を後にしたのですが、その後にパリにあった日本書店に辻邦生先生の本が積んでありました。そのなかに「どくとるマンボウ」の作者北杜夫さんとの対談があって、辻邦生先生がボッティチェリの壁画をみたときに、自分が亡くなるような感覚を持った、と話されていたんです。それは私が壁画をみた30年ほど前の対談でした。そのときに芸術作品は永遠に残る。我々の人生なんて一瞬なんだと思って、私は作曲で芸術を残すのもいいかなと思い、それが本格的に作曲家を目指したきっかけとなりました。
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・死後50年経って演奏される曲を
・現代奏法も楽しんでほしい
・フルートは王道の楽器
Profile
清水研作 Kensaku Shimizu
ボストンのニューイングランド音楽院、同大学院各卒業後、ハーバード大学より博士号を取得。1990年ヴィエニアフスキ国際作曲コンクール優勝。フランスのIRCAMにてコンピュータ音楽の研鑽を積む。作品は、サントリーホール10周年記念、テレビ朝日開局55周年記念、欧米・アジア各地での音楽祭など国内外にて数多く演奏されており、南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団委嘱による「レクイエム・フォー・フクシマ」ドイツ初演、ベルリン・フィルハーモニー室内楽ホールにて委嘱初演された、「却来」等いずれも好評を博す。新潟大学教授、及び中国チチハル大学芸術学院客員教授。
https://kensakushimizu.com
https://kensakushimizu.com
Information
『フルートとピアノのための「茶摘み」による幻想曲』
ジャズ風な伴奏でリズミカルの作品。
『フルートとピアノのための「浜辺の歌」による幻想曲』
中間部にフルートのカデンツァがあり、華やかな作品
編成:Fl&Pf
販売:https://veritas-music.com