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《ONLINE限定インタビュー完全版》THE FLUTE vol.198 Close Up
音楽は感情の言語─だから同僚との関係やポジティブな雰囲気が大切
本誌では第66号に登場したカタリンさん(当時の名字はクラマリッチ)をご記憶の方もいるのではないだろうか。今回20年ぶりとなるインタビューが実現。コロナ禍にはアルゼンチン・タンゴをはじめ、本場のブエノスアイレスまでプライベートレッスンを受けに行ったというアクティブなカタリンさんの“今”を訊いた。
なお、THE FLUTE ONLINEでは本誌に掲載できなかったインタビューを含め、完全版でお届けする。
インタビュアー・翻訳:江田亮太/カメラマン:河野英喜/取材協力:パール楽器製造株式会社
“まあ、フルートを吹いてもいいかな”から始まった
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日本へようこそ、お越しくださいました! 日本にはたびたび来られているのですか?
カタリン
(以下K)
(以下K)
いえ、2005年以来です。その間にも(オーケストラの)演奏旅行はあったのですが、子どもが生まれる時期と重なり、同行しませんでした。当時は旅行なんてできませんでしたが、今は再びできるようになりました。
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現在(2023年11月)、東京はゲヴァントハウス管弦楽団の他にもベルリン・フィル、ウィーン・フィル、NDRエルプフィル等、オーケストラの来日ラッシュですが、もしかするとドイツよりも東京のほうが、よりお友だちに会えるチャンスがあるのではないですか?
K
ええ、そうですね。同僚が今ベルリン・フィルの試用期間中なので会えましたし、エキストラで来ているハンガリー出身のクラリネットの友人にも会えました。
そうそう、今回サントリーホールで演奏したのですが、日本の観客が信じられないほど静かだったのは驚きでした。喋ることも咳払いすることもなく、五感をフルに使って聴いているからでしょう。ドイツでは咳払いなんてしょっちゅうですよ。
そうそう、今回サントリーホールで演奏したのですが、日本の観客が信じられないほど静かだったのは驚きでした。喋ることも咳払いすることもなく、五感をフルに使って聴いているからでしょう。ドイツでは咳払いなんてしょっちゅうですよ。
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以前THE FLUTEにご登場いただいたのは66号(2003年)で随分と昔のことですね。初めてカタリンさんのお話を聞く読者も多いと思いますので、フルートを始めた経緯から教えてください。
K
20年前ですね(笑)。フルートを始めたのは12歳の頃だったと思います。当時、私たち家族はハンガリーに住んでいました。私の先生は特別に多くをサポートしたというわけではなく、週2回のレッスンに通っていたけれども、練習しなければいけないというわけではなかったですし、とくに自分にとっては大きな影響は受けませんでした。
その後、父の仕事の都合でチェコに引っ越して、新しい先生を見つけました。とても厳格な先生で、彼女は私におそらくとても才能があることを見抜いてくれていましたが、私はその当時はまったく練習する気など起こらず、私の両親に電話してきて会っては、「どうか、やめさせないで! ご両親は娘さんにもっと定期的に練習するよう言ってください!」と訴え続けたのです。
その後、父の仕事の都合でチェコに引っ越して、新しい先生を見つけました。とても厳格な先生で、彼女は私におそらくとても才能があることを見抜いてくれていましたが、私はその当時はまったく練習する気など起こらず、私の両親に電話してきて会っては、「どうか、やめさせないで! ご両親は娘さんにもっと定期的に練習するよう言ってください!」と訴え続けたのです。
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フルーティストになりたいとお考えになったターニングポイントはありますか?
K
その先生は多くのコンサートを企画し演奏する機会を与えてくれました。観客がいて、素敵なドレスを着ることができると、「まあ、フルート吹いてもいいかな」と思うようになりました。ですから、そこから先は、もはや強制されず自分の道を自分で求めるようになったといえるでしょうか。私は14歳か15歳くらいでしたが、同年代の人たちよりもずっと先を進んでいるような気がしていました。
夏休みの間、両親も私をたくさんサポートしてくれて、オーストリアやスイスで、ペーター・ルーカス=グラーフのサマーコースに何度も参加し多くを学びました。彼のレッスンだけではなく、世界中から参加する他の受講生の演奏を聴き、自分がどんなレベルにいるのかを知ることもできました。また彼らの話を聞くことで多くのことを学ぶことができました。
その後、父の仕事の都合で再びチェコからハンガリーに戻り、音楽大学で1年半、ヤーノシュ・バーリントのクラスで学びました。
夏休みの間、両親も私をたくさんサポートしてくれて、オーストリアやスイスで、ペーター・ルーカス=グラーフのサマーコースに何度も参加し多くを学びました。彼のレッスンだけではなく、世界中から参加する他の受講生の演奏を聴き、自分がどんなレベルにいるのかを知ることもできました。また彼らの話を聞くことで多くのことを学ぶことができました。
その後、父の仕事の都合で再びチェコからハンガリーに戻り、音楽大学で1年半、ヤーノシュ・バーリントのクラスで学びました。
インタビューは続きます!
・コンクールは緊張を克服して演奏することを学ぶ場でもある
・良い雰囲気であることが重要
・パールフルートは私を映す鏡
・誰とどのように演奏するかを知り、常に耳を傾ける
Profile
カタリン Katalin
1977年ハンガリー生まれ。1995年「Concertino Praga」1位、1997年「Leonardo de Lorenzo」(Italy)1位、1998年「Jean-Pierre Rampal」(Paris)特別賞、2000年「A.Ponchielli Flute Comp」(Cremona)3位、2001年「Prague Spring」2位など、 8つの国際的なコンクールで入賞。
オーケストラ奏者としてはプラハ交響楽団首席奏者を経て、現在はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団首席奏者。またザルツブルグ・カンマーフィルハーモニーのメンバーとしても活躍している。
ソリスト、オーケストラ奏者としてヨーロッパの若手プレーヤーの中でも最も期待されているひとり。
オーケストラ奏者としてはプラハ交響楽団首席奏者を経て、現在はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団首席奏者。またザルツブルグ・カンマーフィルハーモニーのメンバーとしても活躍している。
ソリスト、オーケストラ奏者としてヨーロッパの若手プレーヤーの中でも最も期待されているひとり。