フルート記事 フルート100年トリップ!前編
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前編│音楽で振り返る、大正クロニクル

フルート100年トリップ!前編

HISTORY

今から100年前—日本は大正時代。大ブレイク中の「鬼滅の刃」も、大正時代の日本を舞台とした物語です。14年という短い期間でありつつも、独特の文化が花開いた時代。日本で初めてフルートが作られたのも、まさにこの時代でした。文化や風習などを横目にとらえながら、音楽の100年トリップへと出かけてみませんか。

今からちょうど100年前 — 日本は大正時代。
大ブレイク中のアニメ作品「鬼滅の刃」も、大正時代の日本を舞台に繰り広げられる物語だ。1920年前後の14年間という短い期間でありつつも、独特の文化が花開いた時代。NHKテレビで放送された朝ドラ「エール」のモデル、作曲家の古関裕而が音楽性を育んだ幼少期も、そして日本で初めてフルートが作られるようになったのも、まさにこの時代だった。
“鬼滅” の中にも登場する文化や風習など横目にとらえながら、当時の音楽界やフルート界、現在につながる日本の西洋音楽のあけぼの……100年後を迎えた今、音楽の100年トリップへと出かけてみませんか。

 

 

大正元年■
(1912)  

山田耕筰による日本初の交響曲『かちどきと平和』

少年時代に西洋音楽の手ほどきを受け、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学した山田耕筰。声楽科を卒業した後1910年、24歳の時にドイツ留学し、ベルリン音楽大学作曲科で学んだ。ベルリンではブルッフに作曲を師事し、大正元年に『かちどきと平和』を作曲。ベルリン音大の卒業作品だったが、これは日本初の交響曲となり、帝国劇場における東京フィルハーモニーの第14回演奏会において、山田自らの指揮により初演された。古典派から後期ロマン派までの手法が使われているといわれ、現在に至るまで高い評価を受けている。

 

山田耕筰 : 交響曲ヘ長調「かちどきと平和」他 湯浅卓雄指揮、ニュージーランド交響楽団、アルスター管弦楽団
山田耕筰 : 交響曲ヘ長調「かちどきと平和」他 湯浅卓雄指揮、ニュージーランド交響楽団、アルスター管弦楽団

 

◉ 手動式の掃除機発売開始
◉ タクシー自動車会社、営業開始
◉ コレラが大流行
◉ レコード会社「日清蓄音器」創設
◉ 4社トラストによる映画会社「日本活動写真」設立
◉ 警視庁、映画「ジゴマ」の上映禁止
◉ 山田耕作が日本初の交響曲『かちどきと平和』作曲

 

 

大正2年■
(1913)  

「少年音楽隊」が次々と誕生

百貨店付属の楽団として、この頃続々と全国に発足した「少年音楽隊」。揃いの制服を着た「少年」たちが十数人ほどで、新店舗のオープン時や娯楽場・食堂などで余興として演奏していた。また、少年音楽隊に対抗して、1911年には白木屋(現在の東急百貨店)で「白木屋少女音楽隊」が登場。この成功が、後に宝塚少女歌劇団が生まれるきっかけとなった。

当時各地で活動していた少年音楽隊には、 ◯三越少年音楽隊(東京、大阪) ◯いとう呉服店少年音楽隊(名古屋) ◯白木屋少女音楽隊(東京) ◯大丸少年音楽隊(京都) ◯宝塚唱歌隊(大阪) ◯高島屋少年音楽隊(大阪) ◯出雲屋少年音楽隊(大阪) ◯豊島園少年音楽隊(東京)などがある。

明治末期に大手呉服店が百貨店へと変わっていったことから、そのプロモーションのために結成されたのが少年音楽隊だった。明治から大正にかけての日本には、消費社会が到来し、少年音楽隊は大都市での華やかな商業文化を象徴するものであったようだ。最初に誕生した少年音楽隊は東京の三越音楽隊で、明治42年のことだった。この第1期生には、後にNHK交響楽団の前身である新交響楽団で活躍することになったフルーティスト・宮田清藏や、浅草オペラの名テノール歌手となった田谷力三などがいた。管楽器を中心に編成された少年音楽隊は、後の吹奏楽団の原形ともなった。

三越少年音楽隊三越少年音楽隊

 

◉ 大阪三越で少年音楽隊、京都大丸少年音楽隊が誕生
◉ 桂太郎内閣総辞職
◉ 森永製菓、ミルクキャラメル発売
◉ 徳川慶喜没

 

 

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