高橋成典 フルートの軌跡
皆さまにお世話になりました夫 高橋成典は2021年8月1日に86歳10ヶ月半で天に召されました。葬儀はひっそり済ませたいとのことから広報を控え、皆さまには非礼となりましたが、ここに謹んでご報告させていただきます。春先に宣告を受け死を受け入れる準備ができていたからでしょうか、想像もしなかったことですが、互いに「いってらっしゃい」をしたような私たちでした。亡くなる3日前まで若い人とコンサートの合わせをしました。生涯現役と言っていた通り最後までフルートの吹ける心と身体でいました。成典は棺の中でも微笑を保ったまま、曜子は一縷の涙も出ず、その後2ヶ月法悦の中にありました。
笛吹きの終楽章
病気は極めて珍しいもので腹水にどこからか悪細胞がたまり、手術もできず、症例がないので薬もないということでした。痛みもなく様子を見てただ腹水を抜くというだけです。それは笛吹きとしては支障がなく幸いでした。いつ急変しても良いように身辺整理も進めました。その時は世間を騒がせないように儀礼は最小限にし、偲ぶ会や追悼などはしない、それよりも晴れて時期がきたら後継のための会をすると話し合いました。
Finale
2021年7月30日金曜日。診療が早く終わり、その後一緒に新鮮野菜などの買い物。昼、庭のミニトマトを「こんなうまいトマトあるか、甘い」とパクつく。
土曜の早朝、腹痛で救急搬送。異常なく退院を言われるも、曜子2日月曜までの入院を頼みこみ一人帰宅。その夜の睡眠で体力を蓄えられました。翌日曜の昼2時に病院から「夜中痛がって、薬も効かない」との電話。時節柄許されるのは1週間に5分の面会。迷った挙句、5時過ぎ病院に電話。話せることを確認し、家を出ようとするも凄まじいゲリラ豪雨。思えばその後の前触れでした。
病室に着いた時、成典は上機嫌でした。「痛くない、酸素たくさん吸える」と酸素マスクをパタパタして遊びました。いつものようにおしゃべりをしてフンフンと頷いてくれ、時間になったので「もう会わないけどいい?」と尋ねると「いい」と言って心から嬉しそうに微笑みました。その笑み、その神々しさを私は一生忘れないでしょう。一晩看病していた看護士も歓声をあげました。私は「落着いたら渡して」と看護士に言って手紙を置き病室を出ました。成典は私を見送ったのです。
大丈夫お行きと促す病室の
最期の微笑仏とみまがう
1時間後病院からすぐ戻ってくるように電話がありました。生死は気になりませんでした。私は「また会えたね、あっぱれ、果たした、いい生涯だった」と言葉の溢れるまま成典に話しかけ、大往生を祝福しました。
看護士は私が退室後容体が急変し「これでは手紙を読まずに逝ってしまう」と私の承諾なしに代読したと頭を下げました。話によると、読んだ後手紙を手渡すと、成典はそれを大切そうに握っておしりのほうに持っていき(いつもの癖でズボンのポケットに突っ込む)、通常は段々弱くなる心臓が同時にスーッと止まったということです。成典は最後まで聞き届けてくれました。
看護士の代読したる妻の文
握りて満つるこの世の御幸(みさち)
後の話ですが、菩提寺のすぐ近くに秋篠寺があり、伎芸天を見て思わず「しげのりさん!」と叫びました。この微笑こそあの時のもの、成典はこの世ならぬ妙音に包まれ成仏したと確信した瞬間でした。
菩提寺のそばに居ませる伎芸天
汝の笛に歌口づさむ
さて葬儀などは成典の考えていたように運びました。奈良古刹の丘陵に、ふたりで建てた理想の黒髪山音楽ホール!自分の修練の場でもあるこのホールに身体はしばし安置されました。奈良の生徒には密になるので通夜前日に拝顔してと伝達したのですが、全員がその日の枕経の読経に集まったのは不思議でした。ホールを後にするにも可愛がっていた弟子や楽友に棺を担いでもらい、成典はさぞかしご満悦だったでしょう。
Coda その1[ヴァーティカルな虹]
“妙音教導信士”と法名をいただいた早朝、奈良に虹が出ました。この名は成典が人を教導したという意味ではなく、成典が妙音に教導されたということだと思います。主人は時々、今の自分に習いたかったと言っていました。人にはほめられても笛の道の極めるにつれ、若い時に戻りやり直したいという気持ちがつのったのだと思います。しかし身体なき魂となれば、どれだけ自由に吹けることでしょうか。虹を登りまた妙音を求め精進しているに違いありません。
いと高き天より吾を呼ぶ声は、
浄土の歓喜告げ給わんか
Coda その2[アーチの虹]
2017年より私たちは和歌山に別宅を入手し、「このの庵シゲノリ」と称して活動を広げていました。本格的純日本建築で、20年来通った温泉「ゆの里」も、病院も徒歩圏内です。昇天の1週間後、私は庵に戻りこの法悦について考えました。
成典は最後まで演奏家であった。この世で天命を果たした。
天命を果たしたということは天寿を全うしたということである。
私がそう心から思えた朝、虹が出ました。見たこともない半円の大きな虹——成典が気持ちよさそうにロングトーンをしているようです、こんな音が吹きたいと。
後奏
2020年春、コロナが流行り始めた頃、私たちは一度見てみようと赴いた東大寺隣接の空海寺にお墓を決めました。近年丘を切り開いて最上段を樹木葬にしていたということですが、奈良盆地を見渡せる光景はいつも心奪われます。夫はその天平墓苑からこの世を見守っています。何百回生駒を越え、奈良ー大阪を往復したことでしょう。成典は大フィル創設の昭和35年より東京を出、大阪に生活拠点を置きました。ここなら東西のどこからも東大寺の方向へ手を合わせてもらえます。黒髪山音楽ホールから1kmの近場でもあります。
あの音を出す人がいなくなった、あの音が聞けなくなったとよく言われます。しかしモイーズの音に感動したから、大フィルにいたときにベルリンフィル首席奏者、カールハインツ・ツェラーの元に飛び込み、その教えをやり抜いたから、底光のする深い音が宿ったのです。成典の音に魅せられた人、教えが分かる人がいるなら、その音はつながっていくと思います。
「曜子仕事してる」
「分かってる、心通じてるから」これが私たちの最後の会話でした。どうぞ皆さまお励みください。いつでも成典は降りてきてくれます。
わかってる通じてるからと振りし腕
降り立つ音の指揮のごとくに
髙橋成典 フルートの軌跡
[日時]7/30(土)14:00
[会場]ホテルリガーレ春日野(奈良市)
[内容]大フィル34年を中心に10代から86歳の演奏を視聴する
[料金]¥10,000
[人数]80名(予定)
[申込み]https://forms.gle/7VEsu8nxrFXqxd3dA
[問合せ]080-5719-1956(高橋)Mail:forallfuelovers@gmail.com