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─追悼・植村泰一先生─
大きな功績を残した音楽家
日本フルート界をリードし、NHK交響楽団首席奏者、また東京音楽大学の学長も務めた植村泰一氏が5月16日逝去された。
88年の人生は、常に音楽や仲間・弟子たちとともに慈愛に満ちたものであった。
ここでは、弟子たちの追悼の言葉ともに、THE FLUTE18号(1995年発刊)に掲載した「演奏を支えた1本のフルート」の記事を再構成してお届けする。
改めて植村泰一氏のご冥福を祈り、その功績を讃え、後世に語り続けたい。
植村 泰一
1934年東京生まれ。1957年慶応義塾大学文学部卒業。フルートを川崎優、森正、作曲を清瀬保二の諸氏に師事。1959年、NHK交響楽団入団。1964年~66年パリ音楽院、フライブルク音楽大学に留学。ガストン・クリュネル、オーレル・ニコレに師事。1990年NHK交響楽団退団。東京音楽大学教授に就任。1993年東京音楽大学学長。2001年から学校法人東京音楽大学理事長。2006年退職。室内楽活動にも力を注ぐ。NHK「フルートとともに」の講師、神戸国際フルートコンクール、日本音楽コンクール、日本管打楽器コンクールの審査員、神奈川音楽コンクールフルート部門審査委員長を務めた。
2014年に開催された「植村泰一 傘寿コンサート」
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岩佐和弘│吉野裕子│白川真理
演奏を支えた一本のフルート—THE FLUTE18号(1995年)より—
中野真理 Mari Nakano
高2の暮れ、京都からN響練習場に出向いて初めてレッスンを受けたのが先生との出会いであった。その後東京音大に入学し基礎奏法から徹底的に教えていただいた。表現したい音楽を意のままに操るため、自分の引き出しにあらゆる音やテクニックを準備するべく、気が遠くなるようなピアニシモの長ーい音、究極に遅いテンポで音を吟味しながらの音階や分散和音……、私はただただ 先生の言葉を信じて真面目にやり続けた。基礎練習をやらずに曲を吹くなんて「犯罪」くらいに思っていた(今も!)。
先生にヴィブラートについて質問したときのこと。次のレッスンでそれについてのあらゆる名手の考えや方法の分厚いコピーをドーンと渡された。
いつも、奏法や音楽に関して、多種多様な考え方があるので、視野を広く持つことが大切であるというお考えであった。
長年レッスンを受けていてもまったく褒められることはなかったが、卒業した頃に先生の師匠の川崎優先生の「茅笛の会」という演奏会にデュオで出演させていただいた際に「やっとお見せできる生徒が育ちました」とおっしゃってくださったのが唯一の褒め言葉であったのかなと感じている。留学したあと母校でご一緒に仕事をしたことも楽しい思い出である。先生にあらためて心から感謝し、ご冥福をお祈りいたします。