ランパルを生んだフレンチスクールと父ジョセフ・ランパル
ランパルが育った土壌、それはフレンチスクールにあった。タファネルらから始まったフレンチスクールを、ランパルの父 ジョセフ・ランパルがマルセイユ派に発展させ、息子ランパルはその薫陶を受けながら巨匠となる礎を気づいたのだった。ここでは、フランチスクールに詳しい藤田真頼氏がランパルの音楽について紐解く。
フレンチスクールの誕生まで
パリ音楽院ができるずっと以前の時代から、オットテール(1684~1760)、ボワモルティエ(1691~1755)、ブラヴェ(1700~1768)等、今でも名前を聞くフランス人フルートの名手たちは存在した。そして初代パリ音楽院フルート科教授フランソワ・ドヴィエンヌ(1760~1803)へと時代は繋がっていく。それぞれ作曲家としてもソナタや協奏曲等を多数残したバロック・古典時代のフルート界での重要人物たちで、その当時の大スターであった。しかし彼等を《フレンチスクールのフルート奏者》と呼ぶかというと、おそらく皆さん『?(はてな)』となるだろう。ドヴィエンヌがパリ音楽院の教授に任命されたのが1793年。それ以降、1998年までの主要なフルート科教授は右記の通り。
《フレンチスクール》の伝統はこのパリ音楽院の教授たちが築いてきた。果たしてどこからがどこまでが《フレンチスクール》なのか、ハッキリと言うことはできないが、パリ音楽院にベーム式のフルートを取り入れることを決めた『ドリュス』、そしてフルート奏者なら誰でも知っている『フルート教則本』の執筆者『アルテス』。その後、近代フルートの父と呼ばれる『タファネル』の出現によって確実に《フレンチスクール》の礎は形成されていったと言える。
1793年以降、1998年までの主要なフルート科教授
1793~1803年 ドヴィエンヌ
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1829~1859年 トゥルー
1831~1841年 コッシュ
1860~1868年 ドリュス
1868~1893年 アルテス
1893~1908年 タファネル
1908~1914年 エネバン
1914~1918年 ラフル―ランス(代理)
1919~1932年 ゴーベール
1932~1940年 モイーズ
1945~1948年 モイーズ
1942~1969年 クリュネル
1969~1983年 ランパル
1983~1990年 デボスト
1977~1998年 マリオン
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次のページに続く
・銀製ベーム式フルートとタファネルの功績
・パリ音楽院のプルミエプリのリストと理想的な演奏が生んだスタイル
・ジョセフ・ランパル(1898-1983)と、兄ジャン=バティスト
・パリを離れた理由は、優秀な兄の死
・マルセイユの家族のもとで
・ジャン=ピエール・ランパルの誕生と幼少期
・ジョセフのレッスン
・ジャン=ピエールの成功とジョセフの晩年
・エピローグ
東京音楽大学在学中に民音室内楽コンクール入賞。フランス国立R・マルメゾン音楽院のフルート、室内楽科で1等賞。帰国後はソロ、室内楽、オーケストラ、ミュージカル等多方面で活躍。フランスと日本の音楽交流を活発に行なう。CD『タファネルとゴーベールの遺産』はレコード芸術誌の準推薦盤に指定。2010年『J.S.バッハ・ソナタ全曲演奏会』を開催。フランス・グロワ島音楽アカデミー講師。昭和音楽大学准教授。玉川大学非常勤講師。日本フルート協会常任理事。