フルート記事 ビンタ事件とスタンダップコメディアンと女性司会者と……多様化社会の文化が熱い
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木村奈保子の音のまにまに|第44号

ビンタ事件とスタンダップコメディアンと女性司会者と……多様化社会の文化が熱い

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今年のアメリカアカデミー賞の授賞式では、作品の内容や傾向を分析するよりも、ウィル・スミスのビンタ事件だけが話題をかっさらった。
かんじんのウィル・スミスが、オスカー主演男優賞を受賞した作品の内容など、だれも興味がなかったようだ(あの大坂ナオミが敬愛するテニスのセリーナ・ウィリアムス選手姉妹の物語で、ウィルは、その父親を演じた)。

何があっても暴力は禁止、というのは常識で、いうまでもないことだ。
議論することは、何もない。
社会的には当たり前のこと。
ただ、その場所がセレモニーの場所であったことは大きく響いた。
第一、殴ったウィル本人が主演男優賞を得るための場所だったのだ。
すっかり大物俳優の仲間入りをして、ハリウッドセレブの一人となったアフリカ系アメリカ人、ウィルを、そこまでの行動にさせてしまったのは何か、個人的な理由があったに違いない。
相手は白人ではなく、同胞のアフリカ系アメリカ人なのだから。

プレゼンターとして登場し、殴られたクリス・ロックは、いまや十分価値ある映画人の一人だが、スタンダップコメディアンとしてもまだ活動中である。
発想が刺激的で面白く、超絶、チャーミングなキャラ。
黒人としての被虐ネタをかろやかに語り、アホさを売りに、笑いをとる。
茶化す対象は白人中心で、虐げられた黒人の人生を明るく語る。

彼のステージネタをまじめに掘り下げると、腹の立つアンチ・ジェンダー思考もあるのだが、トータルで芸に味があるから、怒りにまで到達しない。
白人を混じえた聴衆の女性客は、社会的な立場も超えて、みな笑い転げている。

一方、毛髪をいじられた側のウィル・スミス夫人は、ユダヤ系ポルトガル人で、アフリカ系アメリカ人でもある女優、プロデューサーのジェイダ・ピンケット。
今回の受賞作「ドリームプラン」では製作総指揮の立場にある。
授賞式でこそ、エレガントな装いだったが、そもそもバリバリ、キレキレのヘヴィメタシンガー出身。
マニッシュで、あの切れ味のあるタフさには、圧倒される。
どう考えても、あの3人の中で一番タフなのは、ジェイダに決まっている。

ついでにいうと、クリス・ロックは、離婚により、妻から根こそぎ財産をもっていかれたばかり。ウィル・スミスは、自由恋愛主義の夫婦形態の中で、ちょうど妻のジェイダには、息子ほどの若い男性と浮気されたばかり。
それも、彼女のほうが男性の相談に乗っていたという実情だ。

どうみても、ジェイダが、私を守ってほしい、と訴えている立場には見えない。
クリスのジョークに、アハハ、と咄嗟に笑ったウィルが、ジェイダのむっとした表情を見てびびったことから、何か行動を起こすしかなかったため、とっさに出たのが、あのアホな行動ではなかったのか?

「こら、クリス、誰に言うてるのや? それでウィル、何、笑うてるのや!」とジェイダは、二人の男たちをビビらせたのだけのことではないか。
と、憶測するのは、私だけだろうか?

いずれにしても、白人と黒人の関係で起こった問題でなくて、良かった。
これだけが救いだと多くのアメリカ人たちが思ったであろう。

何より、ロシアの一方的な侵攻により、世界を揺るがす戦争に発展しているときに、無駄な事件を起こしたことに、幻滅する。

デカプリオが10億円、ミラ・ジョボビッチが40億円など、ハリウッドセレブが、ウクライナ支援を行っているときに、ウィル・スミスは、せこい事件でショーを盛り下げた。
夫妻とも、子供もまた映画人としてサクセスしたファミリーで、アフリカ系アメリカ人のリーダーになるべき存在なのに、残念極まりない。
もはや、セレブ呆けとしかいいようがない。

もし、私がジェイダなら?
もちろん、その場はクリスのジョークでも、笑わずに、だまる。
あとのパーティ会場かどこかで、クリス・ロックに面と向かって、自分の口から、注意するだろう。

そうしないと、自分で気がすまないはずだ。
なんで、自分に売られたケンカを、夫に後始末をまかせてすませるのか?
ウィルが実際、失敗したように、期待通りのやり方が自分以外に、できるはずがなかったのだ。それとも、「おまえ、行け」とウィルをあおったのか?

むしろ、ジェイダは、このあと、ばかな行動をしてしまった夫のしりぬぐいをしていくほうが、しんどい作業になるだろう。
それで、「GIジェーン」のデミ・ムーアを超える黒人女性版映画を製作、主演すれば面白いのだが。確かに、クリスはいい発想を持っている!

クリス・ロックも成功者ではあるが、ジェイダは、ウィル・スミスファミリーの一員で、社会的にも経済的にもはるかに上の立場だし、スタンダップコメディーは、格上の人々をいじってなんぼの芸。
話芸を持つお笑い芸人の言葉狩りが先行しては、自由がなくなる。

日本では、どちらかというと、トップを走る先輩芸人に権力があり、下にいる芸人たちは、売れたいため、ゴマすりになりがちだが、それが観客に見えると、恥ずかしい。ゴマすりは、せめて、控室でやってくれ、といつも思う。
芸人の権力者に対する「ゴマすり」と、若い女性出演者の男性に対する「媚び」あるいは、気楽な女子会ノリのアマチュアトークは、情けなく、見ていて辛い。最も不要な芸のひとつだ。

こうした言動が、暗黙の了解となっているのは、政治家に対する「忖度」と通じるものがあり、芸から遠ざかるものだと思う。

コメディトークは、ヤバさぎりぎり、のところを目指さないと、面白さが薄くなる。なにより、社会的な問題に斬り込む激しいエネルギーを観客は期待しているのだ。そのため、芸人は自分の生き方にも正直に向き合わないといけない。

ビンタ事件の裏で、今年のアカデミー賞では、スタンダップコメディエンヌのアマンダ・サイクスが女性3人のうちのひとりとして、司会役を務めた。
3人一緒に登場ではなく、授賞式の3時間をひとりづつ受け持つ、という自立したスタイルだ。

アマンダのスタンダップ・ショーは、本当に面白く、黒人被虐ネタもあるが、トランプ中心の政治家いじり、その上に自らレズビアンとしての私生活も力強くネタにある。その達者なしゃべりには、舌を巻くばかり。

結局、男たちの厄介な事件により、影が薄くなった女性司会者たちは、50代後半のアマンダのほか、ホラー女優出身のレジーナ・ホール(51歳、黒人)ウクライナ系のユダヤ人コメディエンヌ、エイミー・シューマー(40歳・白人)など、若くない、美女ではない、実力派の女性たちが起用されていた。
ウクライナ系のエイミーがいるなら、ゼレンスキー大統領のスピーチ映像をはさんだほうが、よほど有意義になったはずだ。

数年前に、性差別発言をした男性司会者がブーイングを浴びたせいで、アカデミー賞の司会はしばらくなし、という状況だったが、やっとのこと、進行役を設けたのだ。

その女性キャスティングは、メジャーな大女優でもなく、男性コメディアンの隣に、そそと微笑む若い美女でもない。
レズ、ぽっちゃり、黒人というマイノリティーを堂々と掲げる女性たちが、メインホストになったのだ。

日本では、いまだに、そんな多様性はない。
女性活用は、若い美女になら目の保養にメインステージの隣席を作るが、男のためのメイン席は、ベテランの清水ミチコや上沼恵美子や友近にも、譲れないのだろう。

かつて、3時間とも授賞式の通しでMCを行ったウーピー・ゴールドバーグやエレン・デジェネレスもコメディエンヌだが、退屈させない辛口のユーモアを持つコメディアンこそが、司会者としての価値を持つ。
しゃべりのスピード感や絶妙な“間”、“ユーモア”は、なくてはならないもの。
それが、男性でなく、女性であっても、黒人であっても、同性愛者であっても、価値は下がらない。

「エレンの部屋」のエレンは、白人女性コメディエンヌだが、著名になってから、自らのレズビアンをカミングアウトした。
しばらく仕事をなくしたが、カミングアウトしない道はなかったという。

リアル社会でも、映画の主人公でも、次々とマイノリティが選ばれていく。

アカデミー賞受賞作「コーダ あいのうた」は、ろう者の家族を支えるヤングケアラーの話だが、面白いポイントは、きれいごとがない。お涙頂戴がない演出。
まるで、スタンダップコメディアンのように直球で、毒をもち、軽妙なテンポでコミュニケーションをしていく痛快さがある。

母親役は、あのろう者の女優、マーリー・マトリン(愛は、静けさの中に)だし、父親役にろう者の俳優、トロイ・コッツァーが助演男優賞に輝いた実力に、誰も意義はないだろう。

さまざまな角度から、愛が語られる時代。

アメリカ映画が追うテーマは、足を踏み外すことなく、健全である。

MOVIE Information

「ドリームプラン」
(2021年,米)
監督・脚本:レイナルド・マーカス・グリーン
出演:ウィル・スミス、アーンジャニュー・エリス、サナイヤ・シドニー、デミ・シングルトン
公式HP:https://wwws.warnerbros.co.jp/dreamplan/

「GIジェーン」
(1997年,米)
監督・脚本:リドリー・スコット
出演:デミ・ムーア、ビゴ・モーテンセン、アン・バンクロフト、スコット・ウィルソン

 

木村奈保子

木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com

 

N A H O K  Information

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問合せ&詳細はNAHOK公式サイト

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第38回:スピーチという名のエンタテイメント
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第40回:社会を反映するエンタテイメント
第41回:コロナ禍のカオス
第42回:平和に向けた映画音楽のアプローチをしよう!
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