【第1回】新・国産フルート物語 〜国産フルートメーカーの夜明け〜
1998年に、アルソ出版より刊行された書籍『国産フルート物語』。日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。しかし現在はすでに絶版となっており、社内にある在庫もたった1冊のみ。さまざまな国内メーカーが創業50年の節目を迎えるこの時期に、“日本で唯一のフルート専門誌”であるTHE FLUTEの使命の一つと考え、新たなフルート物語を紡いでいく。
本誌THE FLUTE vol.166より連載がはじまった「新・国産フルート物語」。THE FLUTE CLUB会員限定でオンラインでもご紹介します。
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊
1998年に、アルソ出版より刊行された書籍『国産フルート物語』。日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。しかし現在はすでに絶版となっており、社内にある在庫もたった1冊のみ。大変貴重な資料となっているが、20年の時を経ているだけに、このままでは風化し埋もれた存在になってしまうという危機感もある。世界中にその品質が認められるようになった現在の日本産フルート——ここまでそれらを先導してきた技術者たちと、メーカーや工房のあけぼのを知る人々も高齢化し、またすでに鬼籍に入る人もいる。
そんな状況を迎えている今、あらためて日本のフルートとそれを創り支えてきた人々の足跡を記すべく、「新・国産フルート物語」としてあらためて記録を残しておきたい。さまざまな国内メーカーが創業50年の節目を迎えるこの時期に、“日本で唯一のフルート専門誌”であるTHE FLUTEの使命の一つと考え、新たなフルート物語を紡いでいく。
現在の国内メーカーや工房の系譜をたどっていくと、たどり着くのは2つのメーカーである——ヤマハの前身である日本管楽器製造(ニッカン)と、ムラマツフルート。今号の前半はこの2つのメーカーについて『国産フルート物語』から、メーカーの夜明けについて抜粋してお送りする。後半は、戦後の復興期から2大メーカーに関わってきた4人の元技術者に集まってもらい、話を聞きながら歴史をひもといていく。
第1回:国産フルートメーカーの夜明け
「国産フルート物語」(アルソ出版 1998年発刊)より
黎明期から戦前まで
(アルソ出版所蔵)
日本のフルート界の黎明期、明治時代に果たして日本製のフルートはあったであろうか。いや、当時は輸入フルートしかなく、国産フルートは一本もなかったのである。
明治時代、すでに管楽器メーカーはあった。ニッカン(日本管楽器製造株式会社)の前身がそれである。
明治二十七年、銅壷屋(大きな鍋や釜を作る職人)であった江川仙太郎という人がその技術を生かして、陸軍の兵器庁に勤めながら楽器の修理を始めた。その後「信号ラッパ」を作り始め、工場を浅草に置いて、仕事を始めたのが日本で最初の管楽器メーカーである。しかしフルートは作られていなかった。
一方、ムラマツフルートの創始者である村松孝一氏は、国産フルートの歴史において、多大な業績を残し、最も貢献した人として語り継がれるべきである。
村松氏は、大正六年に音楽隊で有名な陸軍戸山学校に入学、コルネットを専攻した。在隊中から手先の器用さを認められて楽器の修理係を命ぜられ、学校内の楽器を手あたりしだいに修理しながら、楽器の研究を始めていった。
彼は、「私は音楽を愛し、音楽を純粋に楽しむ人のために、多くの楽器を作って贈ろうと考えた。私の力によって一人の人の人生を楽しく、数十人の人を楽しくさせることができたら、それは私が芸術に志した目的に一致する。その中から素晴らしい演奏をする人も現れることだろう。それなら、好きな絵を捨ててもいいと考えた」(随筆「笛つくり三〇年」より)と、画家への夢を捨てて、フルート製作者になるべく、戸山学校を飛び出し、一人たちしてゆくのである。大正十二年のことである。大正十二年といえば、関東大震災のあった年、当時フルート吹きといえば、日本に十人あるかなし、フルートで生計を立てるなど到底考えられない時代だったのである。
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