【第8回】新・国産フルート物語 フルートで 世界のトップカンパニーを目指す
日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な書籍『国産フルート物語』。新たに取材を加え連載にする。
本誌THE FLUTE vol.166より新たに連載がはじまりました「新国産フルート物語」。THE FLUTE CLUB会員限定でオンラインでもご紹介します。
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊
1998年に、アルソ出版より刊行された書籍『国産フルート物語』。 日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。
当時から約20年が経ち、令和の時代を迎えた今、それらのメーカーや工房も代替わりなどが進み、様変わりしてきている現状がある。そんな現在の姿をあらためて伝えるべく、新たに取材を加えながらここに綴ってきた。
今回からは2回にわたり、桜井フルート制作所について『国産フルート物語』刊行当時の姿と、現在までの変遷についての“物語”をお送りする。初代・桜井幸一郎氏が立ち上げた工房を、現在は2代目・桜井秀峰氏が後継している。前編は、『国産フルート物語』刊行当時に行なった幸一郎氏へのインタビューを振り返ってみたい。
第8回:フルートで世界のトップカンパニーを目指す
いち早く日本製の楽器をヨーロッパに輸出したミヤザワフルート。低価格で品質の高い楽器を提供できる確かな技術力のもと、再びその視野は世界に向けられている。東京オリンピックの年、昭和39年以降は、フルートメーカー業界にも大きな流れの新しい波が生じた時期であった。ムラマツフルートから三響フルートが、タネフルートから櫻井フルートが独立し、さらに新しくミヤザワフルートが誕生したのである。
“フルートのクランポン、セルマー”を目指す
「国産フルート物語」刊行当時、20年前の宮澤社長(現名誉会長)
埼玉県・朝霞市にあるその工場はよく考えて設計された建築事務所のようである。自然光を採り入れたエントランスが、来る者を優しく迎えてくれる(註:2019年現在、工場は長野県飯島町に移転している)。
「ここは《彩の国工場》に指定されているんです」と、社長の宮澤正氏(註:当時)は語り始めた。《彩の国》とは埼玉県を意味し、一定の設備水準をクリアした工場は、県から《彩の国工場》と選定される。しかし選定基準は厳しく、自動車メーカーなど大工場がひしめく埼玉県全体で、わずかに37社しか選ばれない。宮澤氏がこの工場を作るまでには、さまざまな工場を何度も見学した。その中でも宮澤氏が手本としているのは、フランスにある楽器メーカー、ビュッフェ・クランポンとセルマーだ。「両社とも、何十年にもわたって世界のトップブランドの地位を占めています。どこのメーカーも両社を越えていない。私が目指しているのは、フルートのクランポン、フルートのセルマーになることです」と宮澤氏は語ってくれた。