【第12回】新・国産フルート物語 東京・下町の工場から世界へ —イワオフルート
日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な書籍『国産フルート物語』。令和を迎えた今、現在の姿を改めて伝えるべく、新たに取材を加えて綴る連載。
本誌THE FLUTE vol.166より新たに連載がはじまりました「新・国産フルート物語」。THE FLUTE CLUB会員限定でオンラインでもご紹介します。
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊
1998年に、アルソ出版より刊行された書籍『国産フルート物語』。 日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。
当時から約20年が経ち、令和の時代を迎えた今、それらのメーカーや工房も代替わりなどが進み、様変わりしてきている現状がある。そんな現在の姿をあらためて伝えるべく、新たに取材を加えながらここに綴ってきた。
今回は、「イワオフルート」で知られるイワオ楽器製作所についてその歴史と、現在の姿をお伝えしたい。当時、取材に応じてくれた創業者の横山岩雄氏は故人となり、現在は2代目の結紀雄氏が後継者となっている。また、今年2020年よりイワオフルートは新ブランド「アザレアフルート」に生まれ変わるなど、62年の歴史の中でも大きな節目を迎えた。
前編となる今回は、『国産フルート物語』刊行当時の記事をふりかえる。
第12回:東京・下町の工場から世界へ ─イワオフルート
東京・下町のフルート工場で作られる低音フルートが、世界から注目されている。少人数ではあるが、確かな技術を持つクラフトマンたちによって作り出される楽器。それらのフルートの多くは欧米に輸出され、高い評価を受けている。
(註:年数表記は、1998年当時のもの)
金属加工業から楽器製作へ
イワオ楽器製作所(東京都荒川区東日暮里)を訪問したのは、ある初夏の雨上がりだった。瓦屋根の小さな家々が軒を並べ、何か懐かしいような下町の雰囲気が色濃く感じられる。通りの向こうはもう、台東区根岸。さっきまでの雨が小路に面した軒先の鉢植えに鮮やかさを加えていた。
このあたりには小さな工場がとても多い。印刷所、縫製業、金属メッキ工場、そして金属を加工し、さまざまな形の製品を作り出す工場。
「うちは元来、鎊職人なんだよ」。イワオ楽器製作所代表の横山岩雄氏が、手近の紙に漢字を書いて説明してくれた。鎊職とは、アクセサリー職人など、金属で細かい細工をする職業のこと。一時はイワオ楽器製作所から100メートル以内の場所に、30軒以上の鎊職がいたという。つまり、ここはフルートの部品を調達したり、加工してもらうには絶好の場所であった。ちなみに《鎊工事》といえば、銅板、鉄板など金属板を取り扱う工事の総称である。
「このあたりなら、電話一本すりゃあ、どんな部品でも工具でもすぐ手に入るからね。便利だからよそに移れないよ」。アメリカ・パウエル社の創始者も、もともとは、アクセサリー職人であったという。イワオ楽器は、東京の下町ならではの地の利を生かし、ここまで世界に知られるようになった。
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