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THE FLUTE vol.188
【第20回】新・国産フルート物語 変わらない戦略とともに未来へ —アルタスフルート
本誌THE FLUTE vol.166より連載がはじまった「新・国産フルート物語」。THE FLUTE CLUB会員限定でオンラインでもご紹介します。
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊
1998年に、アルソ出版より刊行した書籍『国産フルート物語』。
日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。
当時から20年以上が経ち、令和の時代を迎えた今、それらのメーカーや工房なども代替わりなどが進み、様変わりしてきている現状がある。そんな現在の姿をあらためて伝えるべく、新たに取材を加えながら「新・国産フルート物語」としてここに綴ってきた。
今回は長野県安曇野市に工場を構えるアルタスフルートを訪れ行なったインタビューをお届けする。答えてくれたのは、昨年代表取締役社長に就任した吉田 順氏。元社長で現会長を務める田中修一氏の片腕として、アルタスフルートを支えてきた一人だ。
第20回:変わらない戦略とともに未来へ —アルタスフルート
創業当時の定年年齢は50歳!
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1998年の取材から約四半世紀経ちましたが、どのような変化がありましたか?
吉田
2008年に創業者の田中修一が引退しました。非常にカリスマ性の強い方でしたので、その後会社の体制をどのように作っていくのかということで苦労しました。「アルタスフルート=田中」というイメージが市場にもプレイヤーにも強かった。田中の引退後はアルタスフルートが終わってしまうのではという声も聞こえてきました。 実は創業当時に当社の定年は50歳と決められていたんです。当時からしてもかなり早い引退ですが、このような仕事は「集中して太く短くやれ。そして老後を楽しめ」という意味があったのです。そのための賃金制度も設計しました。当時の社員はそういう強いポリシーを聞いていました。実際には田中も社員も50歳で定年はしていませんが。法改正で60歳定年が義務化されましたし、先を見越して、定年を65歳に改定して田中は引退しました。
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吉田さんご自身はフルートを吹かれていてアルタスに入社を?
吉田
私は1991年に入社しましたが、当時はフルートを専門で吹いてきた人は少数派でしたね。私もトロンボーンでした。大学のオーケストラにのめり込みすぎて、楽器を作ることを職業とするしかないと思って、田中と知り合い入社しました。もともと東京出身ですが、長野に骨を埋めるつもりでいます。
昨年社長に就任しましたが、キィを組み立てる作業をメインに、実際の製作を今もやっています。
昨年社長に就任しましたが、キィを組み立てる作業をメインに、実際の製作を今もやっています。
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アルタスフルート代表取締役社長の吉田 順氏