フルート記事 【第22回】株式会社フルートマスターズ —FMCフルートマスターズ
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THE FLUTE vol.190

【第22回】株式会社フルートマスターズ —FMCフルートマスターズ

HISTORY

本誌THE FLUTE vol.166より連載がはじまった「新・国産フルート物語」。THE FLUTE CLUB会員限定でオンラインでもご紹介します。

書籍「国産フルート物語」
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊

1998年に、アルソ出版より刊行した書籍『国産フルート物語』。
日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。

当時から20年以上が経ち、令和の時代を迎えた今、それらのメーカーや工房なども代替わりなどが進み、様変わりしてきている現状がある。そんな現在の姿をあらためて伝えるべく、新たに取材を加えながら「新・国産フルート物語」としてここに綴ってきた。

前号に引き続きフルートマスターズ後編となる今回は、静岡県浜松市に工場を構えるフルートマスターズを訪れ行なっ たインタビューをお届けする。答えてくれたのは、代表取締役の野島洋一氏。創立30年を迎え、野島氏の目に映るものとは?

第22回:株式会社フルートマスターズ —FMCフルートマスターズ

ターニングポイントとなった工場移転 

前回取材させていただいてから25年が経ちますが、マスターズさんの25年はどのような歩みだったでしょうか?
野島
25年前の取材のときは、まだ工場が三ケ日にあったときでしたね。あのころは自分たちのフルートができたばかりで、生産本数も種類も拡大していくことが課題だった時期でしたし、お客さんの期待に応えるためにも交通の便を考え、今から20年ほど前に現在の工場に移転しました。
この移転がひとつのターニングポイントで、このころから従業員も増えてきて、次の段階として国内の販売を強化していくこと、そして海外での販売も進めていくという2つの柱がありました。
国内販売をはじめた当初は、山野楽器の銀座店さんが最初に取り扱いをはじめてくれて、少しずつ国内でも楽器を置いてくれるところが増えていきました。そんな中で、工場を移転してフルートを増産した背景には、ヤマハさんから声がかかったことも理由にありました。
当時ヤマハの銀座店で責任者だった方から「銀座店のスタッフにヤマハの歴史や製品の研修をして欲しい」という依頼があったんですよ。僕がヤマハで設計をやっていたときに、銀座店のスタッフに定期的に研修をしていたのを知っていて声をかけてくれたんですね。それからですね、ヤマハがマスターズの販売に力を入れてくれるようになったのは。ヤマハ銀座店の売り場ショーケースの中央に、銀から金までのラインナップを「マスターズコーナー」としてドンと置いてくれて、当時のヤマハ銀座店が占める売上本数はかなりのものでした。
 
株式会社フルートマスターズ代表取締役社長 野島洋一

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