『タンゴの歴史』~アストル・ピアソラ “闘うタンゴ”~
フルート&ギターの代表曲ともいうべき作品のひとつに、アストル・ピアソラの『タンゴの歴史』が挙げられる。170号では「ギターと奏でよう 魅惑のサウンド part2」と題し、ギターとフルートの音楽を特集した。ここでは関連して159号で掲載したコラムを紹介する。
170号では「ギターと奏でよう 魅惑のサウンド part2」と題し、ギターとフルートの音楽を特集した。ここでは関連して159号で掲載したコラムを紹介する。
フルート&ギターの代表曲ともいうべき作品のひとつに、アストル・ピアソラの『タンゴの歴史』が挙げられる。タンゴ黎明期から現代までの変遷を綴ったその音楽は、ブエノスアイレスの場末から始まるという退廃的なイメージも手伝い、ほかのフルート音楽にはない風情を醸し出している。
フルート&ギターの代表曲のひとつ『タンゴの歴史』
《タンゴの歴史》は、「娼家1900」「カフェ1930」「ナイトクラブ1960」「現代のコンサート」(初演盤でのタイトルは「コンサート1990」)の四曲から成る。そのタイトルにも伺われるように、タンゴの歴史を三十年毎に括り、それぞれの時代にタンゴが演奏されていた代表的な場所をイメージしながら綴ったものだが、―中略― 初期のタンゴでメイン楽器として使われ、やがて淘汰されてしまったフルートとギターで演奏されるというところ自体が、各時代のタンゴの単純な再現を意味するものではないことを証明している。(「アストル・ピアソラ 闘うタンゴ」斎藤充正 著/青土社刊より)
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アストル・ピアソラ
初期のタンゴではメイン楽器として使われながら、淘汰されてしまったというフルート&ギター。しかしピアソラによって再びスポットを当てられることになったこの組み合わせによる『タンゴの歴史』は、今やフルーティストにとって“いつか演奏したいレパートリー”となることも多い。プロ奏者たちにとっても興味と探求の対象となっている。
『タンゴの歴史』である以上、この曲のジャンルはもちろんダンス音楽であるタンゴ……とは言えないところに、実はピアソラの音楽の真髄がある。
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ピアソラが“タンゴの破壊者”の異名をとっていることは、ご存じだろうか?
タンゴは、アルゼンチンで生まれたダンスであり、そのダンスのための音楽でもある。19世紀前半にキューバで流行した舞曲がアルゼンチンに渡り、ヨーロッパの音楽などが混ざり合ってタンゴが生まれたと言われる。
ピアソラがもともとアコーディオンに似た楽器・バンドネオン奏者だったことはよく知られているが、バンドネオンは、そんなタンゴのステップを支える重要な楽器だった。バンドネオンに彩られたタンゴは、アルゼンチンのダンスシーンに欠かせないものとなっていたが、ピアソラの『リベルタンゴ』は普通のタンゴとは違っていた。“自由”を意味する「リベルタ」と「タンゴ」をつなげてピアソラが造ったタイトル。つまり“自由なタンゴ” という意味だった。それまでアコースティック楽器が中心だったタンゴの音楽に、ピアソラはロックのテイストやアドリブまで盛り込んだのだった。
かくして、幅広い音色と複雑な造りで“踊る”ことから自由になり、音楽自体が主役になった“聴くためのタンゴ”――それが、ピアソラの音楽だった。
ピアソラとともに新しいタンゴ音楽を切り開いたオラシオ・フェレール(右)
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アルゼンチンに生まれ、8歳の頃からバンドネオンを始めたピアソラは、18歳からブエノスアイレスのタンゴ楽団で奏者として活躍していた。しかしダンスのためのタンゴ音楽は制限が多く、行き詰まりを感じたピアソラはタンゴ界からいったん退いたのだった。そして彼が選択したのは、「クラシック音楽を学ぶ」ということ。しかしパリに留学し、作曲家のナディア・ブーランジェのもとで自分の音楽を模索する中で彼女から言われた「決してタンゴを捨ててはいけない」という言葉――。
ピアソラの本分はタンゴにあり。ブーランジェ女史のこの一言が、ピアソラのその後の歴史を決定づけたといっても過言ではないだろう。
(「アストル・ピアソラ 闘うタンゴ」斎藤充正 著/青土社刊より)
ブエノスアイレスに帰国したピアソラは、独自の“聴くためのタンゴ”を創り始める。それまでのタンゴとのあまりの違いに聴衆や同業者からは反発を受けるも、より完成度の高い自分のタンゴを追求し続けた。そうして生まれていったピアソラ独自の“聴くためのタンゴ”が『リベルタンゴ』であり、『タンゴの歴史』であり、奏者たちに愛されて止まないピアソラ作品なのだ。それはまさに、既成のものとの、そしてピアソラ自身との“闘い”から生まれた音楽にほかならない。
参考文献:「アストル・ピアソラ 闘うタンゴ」斎藤充正 著/青土社刊、らららクラシックHP「バックナンバー 輝け! 俺のバンドネオン」
『タンゴの歴史』楽譜
(Edition Henry Lemoine)
マーク・グローウェルズ氏に聞く
『タンゴの歴史』はもともと、ベルギーのフルーティスト、マーク・グローウェルズ氏のために書き下ろされた作品。グローウェルズ氏は本誌117号(2012年)に登場した折に、それについて語っている。
――ピアソラの『タンゴの歴史』を献呈された話は有名ですが、その経緯はどのようなものだったのでしょうか?
「1976年だったと思いますが、国立歌劇場で演奏しているときにピアソラの音楽を知る機会に恵まれました。当時ピアソラはまだ世界的な名声を得てはおらず、その音楽もヨーロッパではまだまだ知名度の低いものでした。しかしその時の国立歌劇場バレエ団にいた高名な振付師、モーリス・ペジャールがピアソラの音楽に傾倒し、バッハのh-mollのミサ曲とピアソラのタンゴをミックスするというすごい公演を企画したのです。それがピアソラの音楽に触れたはじめの一歩でした。そしてそれからほどなく、ベルギーのギターフェスティバルで彼とは違う日にですが、同じ場所で演奏をしました。その時に彼が自分のフルートとギターの演奏を聴き、そのイメージがタンゴの成り立ち、すなわちフルートとギターでの演奏と強く結びついて、フルートとギターのデュオのために曲を書こうと決心させたようです」
――ピアソラの曲を演奏するときに、気を配っていることは?
「特に『タンゴの歴史』に関してですが……、初めてのリハーサルでピアソラ本人の前で演奏したとき、彼はいきなり演奏を止めて言い放ったのです。『そんなに楽譜どおりになんか演奏しないでくれ!』とね(笑)。―中略―ですからいつもそこから生まれるインスピレーションを大切にして、型にはまった演奏になってしまわないようにしています。曲の冒頭部分、ミラドミ~と上がった3オクターブ目のミを長く伸ばしたり、フラッターにしたりするのも、『売春街を取り締まる警察官のホイッスルの音』だとピアソラから聞いたからです。彼の曲はもっと自由に演奏されていいはずですよ」