フランスのサクソフォニスト。12歳でサクソフォンを始めた彼は、1938年にマルセル・ミュールに師事。1942年、国立パリ高等音楽院にサックスクラスが開設された当初の生徒となる。1940年ごろから、師・ミュールの代役としてパリのオペラ座、オペラ・コミックなどに出演。徐々にパリの各オーケストラに客演し、数々の名指揮者と共演する(かの名指揮者 ヘルベルト・フォン・カラヤンの指名により、カラヤン指揮ベルリン・フィルのサクソフォン奏者として何度も出演した)。ソリストとしては、1953年イベールの『コンチェルティーノ・ダ・カメラ』を演奏してデビュー。また同じころ「ダニエル・デファイエ・サクソフォン四重奏団」を結成、1988年の解散までフランス内外で精力的に演奏活動をこなした。1968年マルセル・ミュールの引退に伴い、パリ音楽院第2代の教授に就任。20年間に渡り後進の指導にあたった。またルデュック社より数多くの編曲作品、エチュードを出版。フランス・サクソフォンの伝統を現代に伝える存在とされていたが、2002年の12月、80歳にて死去。