サックス記事 神崎ひさあき Come to me! │ 最終回
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This issue’s Guest:本城和治さん(音楽プロデューサー)

神崎ひさあき Come to me! │ 最終回

ARTIST

日本のフュージョン〜スムース・ジャズ・サックスの先駆者として1980年代からシーンを牽引し、デビュー40周年を迎えた現在も国際的に活躍を続ける神崎ひさあき。その神崎をホスト役に、毎回ゲストを迎えてトーク・セッションを繰り広げる連載「Come to me!」。
多くの反響をいただいた本連載も残念ながら今号で最終回を迎えることになった。ラストを飾るゲストには、神崎オン・ザ・ロードの初代ディレクターであり、神崎ひさあきを発掘した張本人という本城和治さんをお迎えした。ジャズやフュージョンのみならず幅広いジャンルで日本の音楽シーンに大きな貢献をされた本城さん。対面するのは20数年ぶりという神崎との懐かしい話に花が咲いた。
(文:熊谷美広)

神崎くんでフュージョンをやるのは面白いかなって思ったんです

本城さんが、神崎さんを“発掘”されたディレクターということなのですが。
神崎
ひさあき
新宿ピットインに、僕のライブを聴きに来てくれたんです。
本城和治
あるアマチュアのフュージョン・コンテストで神崎くんのグループが入賞して、ピットインを満員にしているらしいという噂を聞きつけてライブを観に行ったんです。あれは何年だったかな?
神崎
1978年か79年だったと思います。それでデモ・テープを作ってみないかというお話しをいただいて。最初は本城さんがどういう方か分からなかったんですけど、話をしていくうちに、すごい人が声をかけてくれたんだなと。
そのライブを観た時の、神崎さんの印象はいかがでしたか?
本城
なかなかエモーショナルなサックスだなと思いました。荒っぽいけど、熱くて、心に響くものがあっていいなと。あとオリジナル曲もたくさんやってて、それもポップでいいなと思いましたね。
その時、すでにフュージョン的なものをやっていたのですか?
神崎
いや、当時新宿ピットインでやっていたのは主にアコースティックなジャズです。ベースもウッドベースだったし。だけどポップな曲も混ぜてやっていて、それで本城さんからフュージョンをやらないかって。
本城
僕はずっとポップスを主流でやってきて、例外的にプーさん(菊地雅章)とか、峰厚介くんとか、ジャズのアルバムも作ったことはあったんですけど、フュージョンというジャンルはそれまでやったことがなかったんですね。だから新しいものに挑戦したいなという思いもあって、神崎くんでフュージョンをやるのは面白いかなって思ったんです。
神崎
もともと僕は、ジャズをやりながらもポップな音楽をやりたいと思っていたので、本城さんからそういうお話しをいただいて、やってみたいなと思いましたね。

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神崎ひさあき

神崎ひさあき
日本のフュージョン・ブームをリードした「神崎ON THE ROAD」を結成し、1980年「Open My Road」でデビュー。以降、国内で3枚のアルバムをリリース。1986年に渡米し、1988年、リッピントンズのラス・フリーマンらを迎えアルバム「KANZAKI」をリリース。帰国後、数々のTV番組や映画等のテーマ曲を担当。自作の『So Far Away』(マイケル・ホワイトがリリース)は、全米ジャズ・チャートで第9位に。盟友マイケル・パウロとのプロジェクト“The Asian Soul Brothers”など、グローバルな活動を展開中。
http://www.kzsax.com/
〈Equipment〉
アルトサックス:Yanagisawa A-9937PGP,A-WO37PGP(with theo wanne durga no8)
テナーサックス:Yanagisawa T-WO2(with yanagisawa no7custom)
ソプラノサックス:Yanagisawa SC-9937PGP(with woodstone no7custom)
Wireless Microphone System:AMT Wi-5(with ZOOM A1X FOUR)
マイク プリアンプ:MANLEY VOXBOX
マイク:MANLEY REFERENCE CARDIOID MIC

本城和治

本城和治
1962年慶応義塾大学経済学部卒。同年日本ビクター(株)入社。レコード本部の洋楽部門のフィリップス事業部で主にリバーサイド、マーキュリー等のジャズLPとポピュラー・シングル盤中心に新譜編成を担当、66年よりスパイダーズ、森山良子、テンプターズ、長谷川きよし等、国内アーティストのレコード制作を開始、日本のフォーク、グループ・サウンズなどのムーヴメントを創る。70年、日本フォノグラム(株)(現ユニバーサルミュージック)設立と同時に移籍。尾崎紀世彦、大橋純子など数多くのアーティストをデビューさせる。71年に尾崎紀世彦『また逢う日まで』で日本レコード大賞、歌謡大賞をW受賞。87年NECアベニュー(株)設立に取締役で参加、95年、制作会社(株)インディゴ・ハウスを設立、代表取締役社長としてアーティストプロデュースを行なう。98年よりフリー・プロデューサーとしてCD、DVDのアーカイブ企画、ライナーノーツ執筆、TV&ラジオ、トークイベント出演の他、月刊『てりとりぃ』誌にコラム“音楽夢想”を連載(2012~18)、2018年より婦人誌『明日の友』に《あの歌をplay back!》を連載中。

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