不世出のマルチ・サクソフォン・プレイヤー 平原まことに捧ぐ
追悼企画:不世出のマルチ・サクソフォン・プレイヤー 平原まことに捧ぐ
Dedicated to Makoto Hirahara(1952.5.2-2021.11.26)
本誌前号vol.107発売の直後に飛び込んできた突然のニュースに、編集部は言葉を失った。
日本を代表するマルチ・サックス・プレイヤーとして長らく本邦音楽シーンを屋台骨として支えてきた平原まこと氏の訃報だ。
日本のサックス界そして音楽シーンもたちまち大きな喪失感に包まれた。
本誌でも創刊号から10年にわたって連載【Makoto ni Mail de Q!】を担当していただくなど、多大なご協力をいただいてきた。
ここに、その偉大なる功績を振り返るとともに所縁の方々のコメントを紹介したい。
History of Makoto Hirahara
吹奏楽の強豪校で副キャプテン、大学のビッグバンドでは主将を務める
平原まことはセッション・サックス奏者の第一人者として、日本の音楽シーンにはなくてはならない存在だった。彼はジャズ、ポップス、ロック、歌謡曲、クラシック、映画音楽、CM音楽、吹奏楽などありとあらゆるジャンルの音楽で、その美しい音色と歌心溢れるメロディを聴かせ、またソプラノからバリトンまでの様々なサックスに加えてフルート、クラリネット、バス・クラリネットなどもプレイするというマルチ・リード奏者でもあった。
平原まことは1952年5月2日に大阪で生まれ、3歳から10歳まで長崎県長崎市で育った。本名は平原智。父はトランペット奏者の平原勉。テレビで聴いた松本英彦に憧れてサックスを吹きたいと思ったそうだが、父親から“サックスやりたいなら、クラリネットから始めろ”と言われてクラリネットを始めた。天理高校時代に吹奏楽部でクラリネットを担当し、副キャプテンをつとめた。その後近畿大学に入学してアルトサックスに転向。同学のビッグバンド“P.K.U.アトミック・フォース・ジャズ・オーケストラ”に所属し、主将もつとめた。1974年には自ら関西の大学のオールスターズを結成し、メイナード・ファーガソン・オーケストラとも共演したこともある。大学卒業後、岡本章生とゲイスターズにアルトサックス奏者として加入し、1981年まで在籍。その後、五十嵐明要の紹介で小原重徳とジョイフル・オーケストラに加入。それと並行してセッション・プレイヤーとしての活動も始める。
平原まこと
Makoto Hirahara
日本を代表するサックス奏者。8種類以上の楽器を吹きこなし、クラシックからジャズ、ロックまでジャンルを問わず演奏できる名プレイヤーとして、またコンサートのソリストとして、多方面で目覚しい活躍を続けている。フランク・シナトラ、ナタリー・コールなど、海外アーティストのコンサートにも参加。服部克久率いる東京ポップスオーケストラでカーネギーホールへの出演、宮川泰と名匠「宮川組」でシカゴ公演など数多くのコンサートで成功を収めている。スタジオミュージシャンとしては、ニューヨークや香港レーベルの依頼により単身海外に出向いてレコーディングするなど、多い時には年間1000曲を超えるレコーディングに参加。また、さだまさしや玉置浩二、谷村新司などのコンサートにサポートメンバーとして参加、蜷川幸夫演出の「三文オペラ」や三谷幸喜の「オケピ」等にもミュージシャンとして参加している。またNHK連続ドラマ「ちゅらさん」のクラリネット、サックス、フルートの演奏を担当、「さくら」、「まんてん」でも演奏。人々の心の奥底にある優しさに訴えかける演奏をすることを最も大切にしている平原まことのそのあたたかな美しい音色は、音楽の力の限りない可能性を予感させる。これまでにCD「月の癒しVol.1」「月の癒しVol.2」「アコースティック ヤマト」をリリース。2007年には、「宮川彬良&平原まことの音物語」でツアーを展開している宮川氏とのコンビネーションによる「アキラさんとまこと君 ふたりのオーケストラ」【COCQ-84377】をリリース、2009年には「ヴォーカリーズ」【COCB-53800】を発売。