昭和歌謡サックス名曲大全
昭和=1926年(昭和元年)12月25日〜1989年(昭和64年)1月7日まで
戦後の復興から高度経済成長へと続く、日本がとびきり元気だった昭和の時代。その時期を彩ったヒット曲の数々にも、やはり活気が満ち溢れていた。失われた30年とも呼ばれ、バブル崩壊後は景気が停滞し続けている今の日本からは想像しがたい世の中のムードが、そこには反映されていたのだろう。そんなヒット曲の数々が、最近では「昭和歌謡」という呼び名で改めて人気を集めている。演歌からアイドルの歌うポップスまでが一括りにされ、百花繚乱の煌めきを放った「歌謡曲」というジャンル。今回の特集は付属ダウンロード音源とも連動して、その魅力を深掘りする。まずはサックスが大きな存在感を放った数々の名曲を紹介していこう。
(文:埜田九三朗)
「昭和」と、ひと口に言っても、いろいろあります
渡辺貞夫さんがテーマ『百年の物語』を吹いて大きな話題を呼んだNHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」だが、この物語は「昭和」のスタートと同時。「昭和歌謡」といった場合に、いわゆる「昭和時代」のスタートである1926年の流行歌(そう、この時代にはまだ「歌謡曲」という言葉はなかったのです)は『この道』(北原白秋and山田耕筰)みたいな、言ってみりゃ「文部省唱歌」(この呼び方も時代遅れだ!)みたいなものしか記録には残ってないし、本誌取材班ならびに関係者の中にもリアルタイムで知ってる人は皆無。
何が言いたいのかと言えばつまり、いわゆる「昭和歌謡」の「昭和」というのは歴史的な用語であるそれとはズレてる、ということね。まずは。本誌編集部はそんなことぐだぐだ書かず「昭和歌謡と言えばサックスのイントロが泣かせますよね!」的な話題に早く行け!とせっつくが、まあ待て。たしかに世間的には「昭和歌謡と言えばサックスのイントロ」である。むせび泣くテナーサックス、とかね。すぐ思い浮かぶのは石原裕次郎の『夜霧よ今夜も有難う』だけど、これは1967年、つまり昭和42年の大ヒット。昭和が始まって、もう42年も経っていたわけです。その間に戦争もあったりしたわけで、戦前と戦後では「日本」そのものが「大日本帝国」から「日本国」へと大変身。歌は世に連れ〜という例のことわざ通り、流行り歌も大きく変わりました。戦後に流入したアメリカの音楽文化、早い話が「ジャズ」なんだけど、その影響を大きく受けて楽曲の内容も大変身したけれど、同時に録音方法も大きく変わったのが「戦後」の大きな特徴。戦前はいわゆる「一発どり」、伴奏メンバーもメインの歌手も一堂に会して「せぇーの!」で録音するというやり方だったから、間違えたりしたら頭から全員でやり直しになるのは当然。音も混ざり合ってしまうから、ソロだってそれほどクリアに収録することはできなかった。
スタジオでのアフレコなどは夢のまた夢だったわけです。それが戦後になり、収録方法もモノラルからステレオになり、アフレコが可能になって、ようやく本稿でテーマとすべき「サックスが目立つイントロ」のある楽曲が成立可能になったのではないか……という仮説に基づいて、以下の論議を進めていきますね。
先述の『夜霧よ〜』に先立つこと約半世紀ほど前、大正時代になるので本稿のテーマとは外れるんだけど、1922年(大正12年)には『君恋し』という楽曲が大ヒットしました。歌っていたのは、「カムカムエヴリバディ」で世良公則が演じていた「定一さん」のモデルと目されている「二村定一」。ただしこの時代はまだ「せぇーの!」の一発どりだったからサックス・フィーチャーなどは皆無。井田一郎編曲のフォックストロットなスタイルだったこの曲が、サックスがフィーチャーのアレンジになったのは1961年(昭和36年)のフランク永井版を待たねばならなかったのです。さらにこの楽曲は2008年(平成20年)にはあのジェロがカヴァーしていますが、そこでは超絶かっこいいサックスのアドリブが冒頭展開されています。しかし、フランク永井版はもちろん、ジェロ版でも奏者の名前のクレジットはナシ。この楽曲に限らず、フィーチャード・ソロを吹いた奏者が明記されていることはほとんど「ない」に等しいのが現在に至るまでの日本の音楽業界の 風習のようで、後述する松浦ヤスノブさんやジェイクさんなどの例は珍しいケースと言えるでしょう。
編集部からの命令は、誰が吹いたかまできちんと調べろ!!! という指令だったんですが、実際には「ほとんどわかんないよ!!!!」というのが残念ながら現在の実情。まあそれでも、このところ注目を浴びている「昭和歌謡」の中で、我らが愛するサックスがどのように活躍してきたかを整理するのは意味のあることだと思うので、以下にサックス・フィーチャーの「昭和歌謡」を列挙してみます。