ビッグバンドの名曲探訪
クラシックや吹奏楽にコンボのジャズやフュージョンにポップスなど、サックスという楽器が活躍するジャンルは様々あるが、ビッグバンドのジャズもその筆頭のひとつに挙げられるのではないか。サックスセクションは管楽器隊の最前列に並びソロを担う場面も数多い。そこで今回はサックス目線で観たビッグバンドの歴史を振り返るとともに、サックス奏者にスポットが当たる名曲をピックアップして紹介していこう。そして、学生ビッグバンドの祭典YAMANO BIG BAND JAZZ CONTESTが今年も8月に開催される。「ヤマノ」から巣立った現在の音楽シーンを担う人気プロ奏者たちにも意見を伺ってみよう!(文:原田和典)
ビッグバンド・ジャズの歴史を彩った名門楽団と花形サックス奏者たち
多くのサックス奏者をブレインに迎えたビッグバンドの祖ヘンダーソン楽団
この2024年は、“ジャズ・ビッグバンドの祖”フレッチャー・ヘンダーソン・オーケストラがニューヨークで発足してからちょうど100周年にあたる。ヘンダーソンはピアノと(すべてではないが)作編曲を担当し、初期メンバーには“ジャズの父”ルイ・アームストロング(Cor)、“ジャズ・テナーの父”コールマン・ホーキンス(Ts)、“ジャズ・トロンボーンの父”ジミー・ハリソン(Tb)などがいた。1924年の終わりごろには“ジャズ・アレンジの父”ドン・レッドマン(As)が参加し、作編曲でも大いに貢献。レッドマンが去った後にはベニー・カーター(As)が加わって、やはり演奏と作編曲に才能を発揮した。33年にはチュー・ベリー(Ts)が参加、ほんの一時期だがレスター・ヤング(Ts)も関わりを持っていたようだ。トランペットやクラリネットが光を放っていたビッグバンド・ジャズ揺籃期において、サックス奏者をブレインに迎え、実に鮮烈なサウンドをつくりあげたヘンダーソン楽団はもっと評価されていい。
“ワシントニアンズ”と名乗るコンボからリーダーのエルマー・スノーデン (Banjo)が抜けたのも1924年のことだ。二代目リーダーにデューク・エリントン(Pf)が繰り上げ当選してバンドを改名、25年に10人、36年頃には14人とメンバーを増員した。私は「エリントンは生涯を通じてクラリネットを使いぬいた」と考えているが、俄然サックス群が生き生きし始めたのは、ジョニー・ホッジスがアルトサックスとカーヴド・ソプラノサックスを兼ね、オットー・ハードウィックのアルトサックスやハリー・カーネイのバリトンサックスが冴えているところに、エリントン楽団初のテナー専業者としてベン・ウェブスターが正式に加わった40年以降ではなかろうか。
カウント・ベイシー(Pf)楽団は36年にカンザス・シティからニューヨークにやってきた。レスター・ヤングとハーシャル・エヴァンス(Ts)の柔と剛のコントラスト、アール・ウォーレン(As)の凛々しさと、これまた創設時からサックスのおいしさを生かしたバンドであった。2テナーの対比は第二次世界大戦後もポール・クィニシェットとエディ・ロックジョー・デイヴィス、“2フランクス”ことフランク・ウェスとフランク・フォスターにも受け継がれている。マーシャル・ロイヤルやボビー・プレイターなど、歴代アルト陣にも応えられない魅力があった。
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