サックス記事 追悼 デヴィッド・サンボーン
  サックス記事 追悼 デヴィッド・サンボーン
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サックスの歴史を変えた真のイノベーターに捧ぐ

追悼 デヴィッド・サンボーン

ARTIST

去る5月12日に惜しくも逝去したサックス界やジャズ・フュージョン界に留まらないポピュラー音楽界の偉人デヴィッド・サンボーン。彼のアルトサックスから放たれる音色やフレーズはサックスという楽器の可能性を大いに広げ、数多くのフォロワーも生み出した。そんなインストゥルメンタリストとして数少ない真のイノベーターである氏の偉業を今回は改めて振り返る。
そしてサンボーンの音楽やプレイに影響を受けてきた、また幸運なことに彼との接点を持つことができた、といった国内の人気サックス奏者たちからのヒーローの死を悼むコメントも紹介する。

(文:工藤由美、金澤寿和)

本誌にも何度も登場してもらったサンボーン。vol.39、vol.71、vol.93では表紙も飾ってくれた
 

History of SANBORN

僕が音楽を選んだのではなく、音楽が僕を選んだ

(文:工藤由美)

 2024年5月12日、世界から愛されたサックス奏者が静かに息を引き取った。享年78。この日、「デヴィッド・サンボーンという時代」が幕を閉じたのだ。
 魂を揺さぶる、あのパフォーマンスは二度と見られない……。今後永遠に続く彼の不在がもたらす絶望的な寂寥感は、多くのサンボーン・リスナーに共通するものだろう。
 先日、ブルーノート東京を訪れたとき、マネージャーが教えてくれた。「エントランスに飾られている写真の前に長いこと佇まれている方、また、かつての面影を探して旧店舗に足を運ばれる方もいらっしゃいます。私どもを含め、多くの人にとって、つくづくサンボーンは特別なミュージシャンだったと思いますね」
 そうだった。クリスマスの足音が聞こえ始めた頃にやってくるサンボーンの来日公演は、ファンの間では長いこと冬の風物詩になっていた……。

独特の演奏スタイルは幼少に罹患した小児まひによる身体的制約に由来

 1975年の「テイキング・オフ」でデビューして以来、半世紀をトップランナーとして走り抜けたサンボーン。この間にゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクを量産、何度もグラミー賞に輝き、アーティストとして不動の地位を築いた。
 過去を振り返ると、70年代初頭の電化マイルスに端を発するジャズ・インストゥルメンタルは、クロスオーバーからフュージョン、さらにコンテンポラリー・ジャズへと進化を遂げ、そこから派生したスムース・ジャズは今も大衆的な人気を維持している。
 サンボーンは、時代とともに移り変わる音楽スタイルやトレンドを超越してきたところで生き延びてきた。その意味で、彼ほど多くの人に愛されたサックス奏者はいないだろう。確かにケニー・Gは大旋風を巻き起こしたが、50年もの間、旬であり続けたスターが他にいるだろうか。
 サックス・プレイヤーであれば誰もが一度は憧れるサンボーン。そのスタイリッシュなファンキー・サウンド、クールなR&Bフィーリング、そしてハートを鷲掴みにするエモーショナルなプレイ。リスペクトするあまり、体を傾け、鶴のように首を伸ばしてサックスに命を吹き込むサンボーンを真似るフォロワーも大勢いた。しかしその独特のプレイ・スタイルが、幼いころに罹患した小児まひによる身体的制約に由来していることを知る人は少ない。
 今日的な感覚で言えば、78歳での旅立ちは早すぎたかもしれない。しかし彼に与えられた十字架の重さを考えると、むしろサンボーンは十二分に生き切ったと筆者には思えるのである。

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