サックス記事 Part.2 Classic Sax Player 偉人伝
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THE SAX vol.44

Part.2 Classic Sax Player 偉人伝

ARTIST

Yuichi Omuro 大室勇一

1940年、埼玉県生まれ。
東京藝術大学付属音楽高校、音楽学部を経て、大学院修士課程を修了。在学中に安宅賞を受賞。フルブライト留学生として、アメリカのイーストマン音楽学校ならびにノースウェスタン大学に学んだ。その間に、イーストマン=ロチェスター・シンフォニー・オーケストラと共演、また、イーストマン・ウィンド・アンサンブルの首席サクソフォン奏者を務めた経験も持つ。
帰国後も海外のプレイヤーと交流を重ね、Classic Saxの先進国の情報を日本に伝えた。
また氏は東京藝大や国立音大などで指導を行ない、数多くのプレイヤーを育てている。
また、氏の著書のひとつに「管楽器メソード・シリーズ サクソフォーン教本」があり、これまでに35版以上を重ねるベストセラーを誇る。 1987年、47歳という若さで他界。

About Yuichi Omuro  Navigator:須川展也

■その音楽観

僕が大室先生に教わったのは高校2年生から大学までの6年弱でした。そのころから先生は、ほぼ教えることに専念されていましたので、残念ながらご自身のリサイタルなどを聴いたことはありません。
レッスンの時、僕が指摘されることを通して感じた先生の「音楽観」は、「なぜ、そのように演奏するのか」、「どうしてそう解釈したのか」、その考えをきちんと持っているかどうかということです。また、先生は完璧主義者だったように思えます。なので、生徒を教えることに全身全霊をかけた結果、あまりご自身の演奏会などをされる機会がなかった。生徒はひとりひとり違います。その人のことをわかって、その人のためのレッスンをする。誰にでも同じことを言うのではなくて、たくさんの生徒に対して一対一のレッスンをされたからこそ、個性的な奏者が多く育ったんじゃないかなと、今は思います。大室先生の一番素晴らしいところはそこですね。生徒のいいところ、悪いところをしっかり把握して、長いスパンでの育て方を考え、実践されていました。

■学んだこと

ただきれいに吹くとか、間違いなく吹くとかじゃない、サクソフォンで演奏する前に音楽ありき、音楽のセオリーありきということを学びました。ちゃんと指が回ってきれいに吹いているだけではだめなんです。速いパッセージを吹いて喜んでいた高校生時分の僕に、それを気づかせてくれたのはすごく良かったですね。ただ吹くだけではない、探求心を持つこと。もちろん、「これはこういうふうに吹くものだよ」と手取り足取り教える方法も大事な教え方のひとつです。長い年月、その曲がいろんな人に吹き続けられ、そのやり方がいい結果を出すとわかってるから「こう吹きなさい」と教える。それは近道だし親切ではありますが、大室先生は、結果的にそこにたどり着くまで、自分で考えて納得して演奏するまで、導いてくださったと思います。
もちろん、クラシックの伝統的な奏法や解釈……楽譜に書いてある音をきちんと吹く、きれいにヴィブラートもコントロールする……といった初歩的なことは徹底して教えてくださいますが、最終仕上げ的な音楽の解釈については「こう演奏しなさい」とはおっしゃいませんでした。ただ、その音楽が持つ基本的なセオリー、スタイルから外れた時には修正してくださいましたが、その後は、「理念のある音楽」を求められていたように思います。ご自身の演奏にもきっとそれが表れるのでしょうし、僕たち弟子に対しても、言葉で説明できるくらい確固たる信念を持った演奏を要求されました。

■師とのエピソード

大室先生のレッスンはとても厳しいものでした。ですが、その後は生徒たちとお酒を飲みに行ったりもされ、僕もよく誘っていただきました。そこではお茶目な先生の素顔を見ることができました。「物語ゲーム」といって、一人がある話をして、それに次の人が物語を繋げていくような遊びをしたり、頭を使うゲームをしたり。ただ飲むというよりは、楽しみながら飲んでいたことを覚えています。
その前にどんな厳しいレッスンをしても、飲み会になるとけろっと忘れたかのようにお茶目な先生。最後にお別れするときも、先生は僕たちよりも先の駅で電車を降りると必ず、ホームで変な顔をして見送って(?)くれたものでした。
厳しいと言えば先生は、サックスの生徒だけでなく、伴奏者として生徒が連れてくるピアニストにも厳しくレッスンされました。ピアニストの中には自分の練習の合間に付き合ってくれる程度の人もいて、あまり練習されていないと「サックスの生徒は必死なんだから、あなたもきちんとやってください」と、生徒に代わって言ってくださっていたようなところもありましたね。
厳しいけれど、人間的なお付き合いの部分では優しく、メリハリのある方でした。ご自身は多分、基本的には照れ屋な部分がおありだったように思えます。とても音楽性に溢れ、研究家でもあったので、それを生徒に託すということに情熱を傾けていらしたのかもしれません。

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須川展也
Nobuya Sugawa

東京藝術大学卒業。サクソフォンを故・大室勇一氏に師事。第51回日本音楽コンクール管楽器部門1位なしの2位、第1回日本管打楽器コンクール・サクソフォン部門において第1位を得てデビュー。当時はまだ比較的認知度の浅かったクラシック・サクソフォンの分野に脚光を浴びさせ、今もなお、サクソフォンを学ぶ多くの若者たちの目標的存在となっている。 レコーディングでは、これまでに約30に及ぶCDをリリース。作曲家への委嘱も積極的に行なっており、西村朗氏や吉松隆氏、本多俊之氏、E.グレッグソン氏、P.スウェルツ氏などに委嘱作品を依頼し、サクソフォン音楽の発展に力を注いでいる。クラシック・サクソフォンの可能性を追求して、自由なスタンスで活動する、日本を代表する管楽器奏者のひとりである。

 

Yushi Ishiwata 石渡悠史

東京藝術大学卒業。第28回毎日音楽コンクール入選。
アカデミア・サクソフォーン四重奏団を結成、演奏活動を開始する。
また、東京管楽アンサンブル結成にも参加。これまでにインディアナ大学にて教鞭を執るなど、奏者としてはもちろん、指導者としての評価も高い。
著書に「管楽器ソロ名曲集(アルト・サクソフォーン1・2・3、テナー・サクソフォーン1・2・3)」(音楽之友社)などがある。長きに渡り、国立音楽大学、東京音楽大学、東京ミュージック&メディアアーツ尚美などで教鞭を執り、育てた弟子の中にはクラシックのみならずジャズシーンで活躍するプレイヤーも多い。
現在、日本サクソフォーン協会会長として、日本のClassic Saxシーンの隆盛に尽力している。

About Yushi Ishiwata  Navigator:北山敦康

■その音楽観

私が石渡先生にお世話になったのは、音大受験前と大学院時代、そして修了後に誘っていただいたベック合奏団(東京管楽アンサンブル)の活動を通じてでした。石渡先生には「音楽の全体像を大事にして演奏すること」を教えていただきました。学部時代は大室先生に厳格なテクニックと精密な表現の指導を受けましたので、その積み重ねが大学院で石渡先生に開花させられたというふうに思っています。
静岡に引っ越してからも、私のカルテットの録音テープを持ってご自宅にうかがったときに、「たしかに無難な演奏だけど、これじゃあまり面白くないね。音楽はその速度によって性格が大きく左右されるものだから、これはもっと速く演奏したほうがいいんじゃないか?」と、まず「音楽の全体像」の重要さを指摘されたことを忘れることができません。

■学んだこと

音大受験前のレッスンでは、シンプルな旋律の背後にある豊かな和声感覚を重要視されていたように記憶しています。大学院時代に覗かせていただいた後輩の学部生たちのレッスンでも、フェルリングのエチュードにコードを付して、その旋律における和声的性格との関連やフレーズの作り方などを指導されていたのが印象的です。
大学院時代のレッスンでは、不規則な変拍子や技巧的な傾向のエチュードも指導していただきましたし、当時の私としてはやや挑戦的な楽曲の選択にも、むしろそれを奨励するような形で指導してくださいました。
奏法に関してはあまり細かいことを教わった記憶がありませんが、1976年に石渡先生がブラスオルケスターで、カレル・フーサの『吹奏楽とアルトサクソフォンのための協奏曲』を演奏されたときに、「アメリカの大学じゃ学生はみんなハイトーンをビュービュー吹いてるよ」と言われたことが印象に残っています。以来、私もハイトーンの練習方法や指導法に興味を持って研究するようになり、それが今でも学生の指導に役立っています。
石渡先生からは音楽の全体的な印象を大事にすることを学びましたが、とくにサクソフォンがきわめて技巧的な楽器であるだけに、「サクソフォンを吹くのではなく、音楽を演奏するのだ」という意識を持ち続けることを学んだような気がしています。
それぞれの学生の好奇心や個性に対しておおらかにそれを受けとめ、その努力をあたたかく見守るというのが石渡先生の教育哲学だったのではないかと思います。私も現在は大学生の教育に携わっていますので、石渡先生のように、学生ひとりひとりの個性に応じた指導を心がけています。

■師とのエピソード

石渡先生との思い出といえば、とにかく優しくしていただいたという記憶ばかりです。
高校生のときに初めてのレッスンで横浜のお宅にうかがったときには、レッスン代をお渡ししようとした私に、「君は大分からはるばる夜行列車に乗ってやってきたんだからレッスン代はいいよ」と受け取っていただけず、食事までごちそうになってしまいました。
大学を卒業してからも、結婚式では石渡先生ご夫妻に媒酌人をお願いしましたし、文部省の在外研究員として渡米したときには、「小さな子ども二人を連れての移動は大変だろう」と東京駅から成田空港まで車で送っていただきました。こうして思えば、先生には感謝することばかりです。

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北山敦康
Atsuyasu Kitayama

1953年、大分県津久見市生まれ。1971年に大分県立津久見高等学校を卒業し、国立音楽大学器楽学科サクソフォン専攻に入学。サクソフォンを大室勇一、石渡悠史の両氏に師事。1977年に国立音楽大学大学院修士課程音楽研究科を修了し、1982年より静岡大学教育学部に勤務。1988年から1989年にかけて文部省在外研究員として渡米し、インディアナ大学音楽学部で音楽教育の研究に従事するとともに、サクソフォンをユージン・ルソーに、指揮法をレイ・クレイマーの各氏に師事する。現在、静岡大学教育学部教授、静岡大学教育学部附属島田中学校校長。
★私が考える「Classic Sax」 サクソフォンほど「クラシック」という言葉の定義に悩む楽器はありません。それが時代を問わず広義に「芸術音楽」を指すものであれば、モダンジャズもまた「クラシック」であると言えるでしょう。そういう意味からも、「Classic Sax」を定義すること自体あまり生産的なことではないような気がします。しかし、そう言ってしまっては元も子もないので、「Classic Saxとは、アドルフ・サックスの楽派を継承し発展させる演奏や教育・研究の活動を指す」とでも定義しておくことにします。もちろん、その「活動」とは何かと問われれば、また新たな定義が必要となるのかもしれませんが、それは諸説あっていいでしょう。むしろその多様性こそ、サクソフォン音楽が世界中でこれほど愛されている所以なのかもしれません。

 
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