ZOOM in 本堂 誠
THE SAX vol.86 | Interview
ここ数年で次々と若い世代が頭角を現しているクラシック・サクソフォン界にまた新星が現れた。サクソフォン・カルテットのトップランナーであるブルーオーロラ サクソフォン・カルテットにバリトンサクソフォンの新メンバーとして加入、そして去る8月に開催された第34回日本管打楽器コンクールで第1位を受賞した本堂誠氏だ。受賞に至るまでの彼のサクソフォン履歴を訊いた。(取材協力:株式会社アスペン、公益財団法人日本音楽教育文化振興会)
全国に届いた「自分たちのための課題曲」
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- 本堂さんはThe SAX誌に初登場です。まずはサクソフォンを始めたきっかけを教えてください。
- 本堂
- ピアノは幼稚園の頃からやっていましたが、最初にサクソフォンに出会ったのは小学生の時の部活動です。最初は陸上部に所属していましたが、みんなでトラックで走っていた時に転倒して骨折してしまいました。そのあと間が空き戻りづらくなってしまい、もともと音楽の先生から誘われていたこともあり吹奏楽部に転部しました。サックスを選んだのは、当時気になる子がサックスを吹いていたということもありますが(笑)、単純にサックスの見た目がカッコイイと思ったから、そしてサックス特有の音色に惚れたからです。
- ――
- プロを目指したきっかけは?
- 本堂
- 中学三年生の時に所属していた吹奏楽部が全日本吹奏楽コンクールの全国大会に進出できました。その時の中学の部活の顧問だった田嶋 勉先生は作曲家でもあり、ちょうどその年の吹奏楽コンクールの課題曲を作曲していたんです(2004年課題曲Ⅱ『エアーズ』)。もちろん自分たちの中学校のサウンドを知っているので、そのサウンドにあっている曲を書いてくれました。その曲の中にサックスのソロやカルテットのセクションを作ってくれたことで、ソロでの演奏というものを意識するようになりました。
僕が通っていた地域には吹奏楽の強豪校があったのですが、別の高校に進学して個人練習の時間を確保し、2週間に一回冨岡和男先生のところに通うようになりました。割と早いサイクルで「マルセル・ミュール サクソフォン教程」などのエチュード、練習曲をたくさん進めました。
同世代の活躍に受けた衝撃
- ――
- そして東京藝術大学に進学されます。藝大時代の印象的な出来事を教えてください。
- 本堂
- 藝大に入って一番最初に受けた衝撃は、今ブルーオーロラでも一緒している1学年上の田中拓也さんが2年生で日本管打楽器コンクールで優勝したことです。歳も近いので何が田中さんにとって一番影響があったのかを聞いたのですが、フランスのギャップの講習会に行ったことで意識が変わったと教えてもらったので、2年生になってから自分も同じ講習会を受けに行きました。
- ――
- 日本との違いは感じましたか?
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プロフィール
本堂 誠(ほんどう まこと)
2012年、東京藝術大学音楽学部器楽科を卒業し同大学院に入学。同年11月に渡仏し、パリ国立高等音楽院第一課程に入学。サクソフォン科、並びに室内楽科を最優秀の成績で修了。在学中アムステルダム音楽院へ短期交換留学し研鑽を積む。2013年第7回スロヴェニア国際コンクール、2014年アドルフサックス国際コンクール(フランス)ソリスト部門、2015年第2回アンドラ国際サクソフォンコンクールの3つの国際コンクールで優勝、2017年第34回日本管打楽器コンクール第1位、および内閣総理大臣賞、特別大賞、文部科学大臣賞、東京都知事賞、聴衆賞を受賞。室内楽においては2017年第9回大阪国際室内楽コンクールにパリ音楽院在学生で結成したサクソフォン・カルテットで出場し第2位受賞、また現在ブルーオーロラ サクソフォン・カルテットのバリトン・サクソフォン奏者。
これまでにサクソフォンを冨岡和男、池上政人、原博巳、クロード・ドゥラングル、クリストフ・ボワ、アルノ・ボーンカンプの各氏に、室内楽を中村均一、貝沼拓実、ヘスン・カン、棚田文紀、イェンス・マクマナマ、ラズロ・ハダディの各氏に師事。2015年度よりヤマハ音楽振興会留学奨学生、フランスにおいてロールデュラン財団、メイヤー財団より助成を受ける。
世界のサックス製造を支えてきた歴史ある台湾メーカー
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