フレデリック・ヘムケ 音楽家がサックスを演奏する ─ それがクラシック音楽を演奏する者の役目だ
アメリカに生まれ、フランスのマルセル・ミュールの下で学んだフレデリック・ヘムケ氏。1956年にアメリカ人として初めてパリ音楽院を一等賞で卒業してからは母国に戻り、ソリストとして、また、ノースウェスタン大学教授のポストをはじめとする教育者として、幅広い活躍をしている。日本では RICOリード <ヘムケ> の監修者としても広く知られている存在だ。そんな氏が今年10月、アメリカのフルブライト財団のサポートにより、愛弟子である雲井雅人氏が教鞭を執る国立音楽大学を訪れ、2週間に渡って指導を行なった。
本誌では今号の特集に先駆けて、この “クラシック・サクソフォーン開花期の偉人” にインタビューを敢行。75歳とは思えないほどアクティブな氏は、時折ユーモアも交えながら、自身について、クラシック・サックスについて、大いに語ってくれた。
インタビュア:雲井雅人(サックス奏者/国立音楽大学講師)/ 翻訳:佐藤渉(サックス奏者)/ インタビュー撮影:土居政則
衝撃的な “神の音” との出会い
(以下H)
高校に進学したころからはジャズの演奏を始め、ダンス・バンドを結成し、人前で演奏をしていた。そのころから私はかなり真剣にサックスに取り組んでいたから、ついに私を教えられる先生が周囲にいなくなってしまったんだ。そこで本当のサックス・プレイヤーから、自分のレッスンを受けることを勧められ、彼のもとに通い始めた。するとすぐに、彼はマルセル・ミュールの録音を聞かせてくれた。その演奏には、「サックスとはどんな楽器であるのか」という私の考えを完全に変えてしまうほどの衝撃があったんだ。
私は高校生活を通して、ダンス・バンドでの演奏を続けながら、その先生のもとでフランスのレパートリーを学んでいった。それから大学に進んだのだが、大学では自分がリーダーのダンス・バンドを始めた。その名も “Fred Hemke-The Band with The Style” !! (気品溢れるフレッド・ヘムケ・バンド!!) そのバンドではだいぶ小遣い稼ぎをしたものだよ(笑)。
するとミュールは返事をくれ、パリ音楽院は手紙や推薦状では生徒を受け入れることはできず、現地で試験を受けなくてはならない、と教えてくれた。そこで私はダンス・バンドで稼いだお金と父親から借りたお金を合わせて、試験少し前の夏にフランスに行ったんだ。大学ではフランス語の授業を受けたりしていたから、現地でも少しは話せるかと思っていたんだが……実際はまったく通じなかったのをよく憶えているよ。
自分が実際に指導を受けるのは週に1時間だけれど、他の時間はミュール先生が教えるのを見学していた。他にも、フランス人枠の学生証が交付されたことにより、カフェテリアでの食事はほぼ無料になったし、コンサートなんかも学生割引で入ることができるようになった。この留学では、サックスや音楽だけでなく、フランスの文化を学ぶことができたと思っているよ。
“音楽” のつくり方を学ぶ
私はクラリネット、フルート、オーボエ科の教授からレッスンを受けることになり、モーツァルトやバッハなどを学んだ。サックスの技術ではなく、本当に「音楽」をつくることができるのかどうか、ということを問われ続けた2年間だったよ。
その後、博士課程に進むことも考えたんだが、私の学生生活を妻が働いて支えてくれている状況だったので、何か自分でも仕事を始めなければと思い、ニューヨークでのリサイタルを行なった。そのリサイタルにはシガード・ラッシャーやベニー・グッドマンも来てくれたよ。 そして演奏は大成功し、新聞には非常にいい記事が載ったんだ。
すると、すぐに私のもとに“電報”が届いて……当時 E-mail がなかったのは知ってるかな?(笑) 電報はノースウェスタン大学からのもので、「うちの大学でサックスを教える仕事に興味があるか?」と書いてあった。何の仕事もなかった私は「もちろん!」と返事をして以来、教え始めて来年で50年になる。
そういえば私がノースウェスタン大学で教え始めた当時のアメリカでは、ラリー・ティールがミシガン大学で教えていた他に、大学のサックス科はどこにもなかった。それからずいぶん長い時間が経ったものだね。
次ページにインタビュー続く
・オルガンと共演する理由
・ボタン・プッシャーにならないで!
・サックス愛好家同士、学び合う姿勢を持ちましょう
フレデリック・ヘムケ
Frederic.L.Hemke
ソリストとしても教育者としても幅広い活躍をしているアメリカのサクソフォン奏者。1956年にパリ音楽院でアメリカ人として初の一等賞を獲得。1962年にはイーストマン大学にて教職の道に就き、1975年以来ノースウェスタン大学で教授を務める。その他、パリ音楽院やアムステルダムのスウェリンク音楽院など、ヨーロッパの大学でも客員教授として指導に当たり、多くの優れたサクソフォニストを育てている。一方、ソリストとしてもシカゴ交響楽団、セントルイス交響楽団、東京交響楽団など、著名なオーケストラと共演。RICOリード<ヘムケ>の監修者としても知られている。