サックス記事 渡辺貞夫 17年ぶりに招集したビッグバンドを率いた コンサートの模様がライブCDで登場!
  サックス記事 渡辺貞夫 17年ぶりに招集したビッグバンドを率いた コンサートの模様がライブCDで登場!
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THE FLUTE vol.70 Cover Story

渡辺貞夫 17年ぶりに招集したビッグバンドを率いた コンサートの模様がライブCDで登場!

ARTIST

日本のジャズ界を60年以上に亘って牽引し続ける渡辺貞夫が、17年ぶりに自らのビッグバンドを再編し、昨年12月14日にオーチャードホールで行なったコンサートは大きな話題となった。海外から大物リズム・セクションも招いたそのパフォーマンスはビッグバンド・ファンの度肝を抜く最高の仕上がり。そして、その模様がライブCDとして楽しめることになった。完成の手応えを巨匠自らが語った!
(文:熊谷美広/写真:土居政則)
協力:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

全曲オリジナル・ナンバーのビッグバンド・アルバム

ニュー・アルバム「I’M WITH YOU」は、昨年末に行なわれた、ビッグバンドとのコンサートのライブ・アルバムですが、このコンサートをすることになった経緯を聞かせてください。
 
渡辺
1990年代の後半に、僕のビッグバンドをやっていたんですけど、そのメンバーとは、その後も時々、仕事で会ったり、楽器店で会ったりする機会がありました。するとみんな、また一緒にぜひビッグバンドをやりたいって言ってくれるんです。それに2、3年前から、国立音楽大学のニュータイド・ジャズ・オーケストラとお付き合いしたりもしていて、僕自身も、ビッグバンド・サウンドをもう一回という気持ちが強くなってきていました。それで今回やろうということになって、17年前に付き合ってもらったホーンのメンバーたちがほとんど参加してくれました。当時は僕のアレンジだけじゃなくて、サド=メル・オーケストラやカウント・ベイシー・オーケストラのアレンジ楽譜や、バークリー時代の同級生だったマイク・ギブスのアレンジ譜面などを、200〜300曲くらい持っていたので、それらも使っていました。バークリーから日本に帰国して、毎週リハーサル・バンドをやっていたこともあったので。でも今回は、ライブ・アルバムを録ることが決まっていたし、自分の名前でアルバムを出すのだから、全部オリジナル曲にしたいということで、ニュータイドとやった時に、ボブ・ミンツァーにアレンジをお願いした曲と、17年前に村田陽一くんにアレンジしてもらった曲、さらに今回はラッセル・フェランテと村田くんにも新たに2、3曲ずつアレンジをお願いしました。

プロフィール
渡辺 貞夫
1933年2月1日栃木県宇都宮市生まれ。51年に上京してプロとしての活動を始め、53年に秋吉敏子のグループに参加して注目を集める。61年に初リーダー作をリリース後、バークリー音楽院に留学。70年代からは海外でも活動し、その音楽性は高く評価された。70年代後半からは、フュージョン的なサウンドにもアプローチし、一般的な人気も得る。その後も日本最高のアルトサックス奏者として、現在も精力的に活動を続けている。


CD Information

I’M WITH YOU
「I’M WITH YOU」
SADAO WATANABE Orchestra
【VICJ-61736】¥3,000(税別)
 JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
[演奏]渡辺貞夫(As,Cond)、吉田治/近藤和彦(As)、小池修/今尾敏道(Ts)、山本拓夫(Bs)、
村田陽一/片岡雄三/辻冬樹(Tb)、山城純子(BTb)、西村浩二/佐久間勲/奥村晶/松島啓之(Tp)、ラッセル・フェランテ(Pf)、エドウィン・リヴィングストン(Bass)、ピーター・アースキン(Ds)
[曲目]TOKYO DATING、HIP WALK、TREE TOPS、EPISODE、I’M WITH YOU、 EARLY SPRING、EYE TOUCH、WARM DAYS AHEAD、AIRY、TEMBEA、NOT QUITE A SAMBA、MY DEAR LIFE

次ページにインタビュー続く
・成長したミュージシャンに囲まれてサックスを吹くことに専念
・秋にはイエロージャケッツのリズムを迎えて再びビッグバンドを
・ サックス・セクションの メンバーが寄せた 渡辺貞夫へのメッセージ

登場するアーティスト
画像

渡辺貞夫
Sadao Watanabe

1933年2月1日栃木県宇都宮市生まれ。チャーリー・パーカーに憧れ、1951年に上京してプロとしての活動を始め、1953年に秋吉敏子(Pf)のグループに参加して注目を集める。1961年に初リーダー作「渡辺貞夫』をリリース後、バークリー音楽院に留学。その後チコ・ハミルトン(Ds)やゲイリー・マクファーランド(Vib)などのグループに参加し、ブラジル音楽などにも触れて自身の音楽性を確立していった。1965年に帰国。1966年に「ジャズ&ボッサ」をリリースして日本にボサノヴァ・ブームを巻き起こした。1970年代から海外にも進出し、1970年代後半からはフュージョン的なサウンドにもアプローチ。1978年の「カリフォルニア・シャワー」は大ヒットを記録した。1983年に全米でもリリースされた「フィル・アップ・ザ・ナイト」は“ラジオ&レコード”誌のジャズ・チャートで1位を記録。その後も日本最高のアルトサックス奏者として精力的な活動を続けている。

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