サックス記事 カーク・ウェイラム ゴスペルをルーツに歌心溢れるプレイを聴かせるジャズ・フュージョン界のトップスター
  サックス記事 カーク・ウェイラム ゴスペルをルーツに歌心溢れるプレイを聴かせるジャズ・フュージョン界のトップスター
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THE SAX vol.81 Cover Story

カーク・ウェイラム ゴスペルをルーツに歌心溢れるプレイを聴かせるジャズ・フュージョン界のトップスター

ARTIST

ジャズ・フュージョン界のトップスター、カーク・ウェイラム氏が表紙&巻頭に登場!

2016-2017の年末年始にかけて、FOURPLAYの公演で急遽チャック・ローブのピンチ・ヒッターとして来日することになった人気サックス奏者、カーク・ウェイラム。そんな氏に、カウントダウン・ライブの前日、インタビューを行なうことができた。氏と同じゴスペルにルーツを持ち、氏を尊敬してやまないという人気急上昇中の若手サックス奏者、前田サラがインタビュアを務めてくれた。
(取材協力:ブルーノート東京 / インタビュア:前田サラ / 通訳:ジェーソン・アンドレス / 撮影:土居政則)


サックスとともに歩む運命

カーク・ウェイラム
はじめまして、サックス奏者の前田サラと申します。今日は、お会いできて光栄です。
カーク
僕から先にお聞きしたいのですが(笑)......、日本はなぜこんなに女性サックス奏者が多いのでしょう?
どうしてでしょうね......。私が中学生の頃に「スウィングガールズ」という映画が上映されて、さらにその頃、今では日本を代表する女性サックス奏者、矢野沙織さんと小林香織さんのお二人がシーンに出てこられたんですね。それらの影響も大きいのではないかと思います。
カーク
男の子たちは、野球ばかりやっていて、楽器には興味がないみたいだね(笑)
カークさんがサックスを始めたきっかけは?
カーク
最初にサックスを見たときは、そのカッコいいルックスに惹かれましたね。最近のテクノロジーの進歩は目を見張るものがありますが、僕がサックスに出会った頃は、サックス自体がすごくハイテクなものに思えたのです。
12歳の頃にはもうサックスを吹いていたのですが、その頃、89歳のサックス吹きの叔父が家に来て、「何か吹けよ」と言われたんです。
頑張って吹いてみせたのですが、叔父が「貸してみろ」と言って僕のサックスを吹くと、その音がとても美しくて。その音に惚れて、もっと吹きたいと思うようになりましたね。
まあそういったいろいろなきっかけはあるのですが、結局はサックス吹きになる運命だったのではないかと思います。私は運命を強く信じているんです。
影響を受けたサックス奏者は?
カーク
一番影響を受けたのはアーネット・コブです。テキサスの学校に通っていた時に、彼が近くに住んでいて、よく教えに来てくれました。最終的には彼と友だちになって、彼の家に遊びに行くようにもなりました。その後、共演するまでになったんですけど、彼のサックスは、単純ながらすごく奥深いことを吹くのです。ある日、彼が僕のサックスを聞いて、「音数は多いけど、伝えているものが何ない」と言われました。それでとても傷ついたのですが、逆にそう言われて目が覚めました。それを直そうと思ったのです。
若い頃にはどのくらい練習をしていたのですか?
カーク
僕は他の人に比べて学ぶスピードが遅いと思っている。だから若い頃は毎日たくさん練習しました。この業界で活躍している他のサックス吹きと比べても、飲み込みが遅いんですよ。演奏がある日は別ですが、今でも通常は毎日少なくとも2時間から3時間は練習しています。
実は私の師匠がロン・ブラウンという方なのですが、カークさんと交流があると聞いています。私も実はスカイプでレッスンを受けていたのですが、その中で時々「カークとスカイプで練習しているんだ」と言っていました。
カーク
ブラウンさんは最も親しい3人の友人の中の一人です。僕より3歳くらい先輩で、音楽歴は僕のほうが長いのですが、相互関係が築かれるようになったのです。彼は日本語が話せるし、日本でイエス・キリストのためにいろいろな活躍をされていたので、非常に尊敬する人ですね。ただ残念なことに、この3年くらい体調がよくないらしく、最近はお会いできていないのです。


Kirk Whalum,カーク・ウェイラム

Profile
Kirk Whalum(カーク・ウェイラム)

1958年、テネシー州メンフィス生まれ。父親が牧師で、幼い頃からゴスペルやR&Bに親しむ。9歳でドラムを、高校に入るとサックスを演奏し始める。ヒューストンの南テキサス大学に入学、在学中テキサス・テナーのアーネット・コブに魅了され薫陶を受ける。1983年にボブ・ジェームスのグループに入り、プロとしての本格的なキャリアをスタート。1985年にジェームスのサポートによりタッパン・ジー・レコーズから「Floppy Disk」でソロ・デビュー。1980年代後半から1990年代前半にはクインシー・ジョーンズ、ルーサー・ヴァンドロス、アル・ジャロウ、ホイットニー・ヒューストンらと共演。2000年代以降はスムース・ジャズ・ブーム旗頭的存在としても活躍。デイヴ・コーズが主宰するランデヴーからスマッシュ・ヒットを放った。2012年にジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンに捧げたカバー・アルバム「ロマンス・ランゲージ」を、2015年に「The Gospel Accordingto Jazz」第4弾をリリース。〈ユリウス・カイルヴェルト〉専属テスター

使用楽器:〈ユリウス・カイルヴェルト〉 SX90R ブラック・ニッケル、ネック:“カーク・ウェイラム”シグネチャーモデル、MP:バンドーレV16 T8、リガチャー:バンドーレン オプティマム、リード:バンドーレンV16 4番

 
前田サラ(まえださら)

Interviewer Profile
前田サラ(まえださら)

プロテスタント教会の牧師で音楽家の父、音楽好き母の元6人兄弟の長女として育つ。小学4年生のときに神戸に移りドラムの演奏を始め父の教会で演奏を始める。中学校の吹奏楽部ではクラリネットを担当するが、サックスに憧れサックスを手に入れて翌週の日曜日には教会で演奏を始める。16歳で東京に移り、高校に進学せずアルバイトで家計を助けながらサックスの演奏に専念し、家族とともに教会やストリートでも演奏するようになる。17歳のころから東京のライヴ・ハウスのセッションに積極的に参加し、様々なミュージシャンとの交流を重ねる。 19歳の時、自身のリーダー・バンドを結成しプロとして活動を始める。その頃、教会のイベントで渡米した際に世界的なサックス・プレイヤー、ロン・ブラウンと知り合いサックスのレッスンを受け、帰国後もSkypeを通じてのレッスンを2年間受ける。2015年に、リッキー・ピーターソンをプロデューサーに迎えたアルバム「フロム・マイ・ソウル」でビクターエンタテインメントよりメジャー・デビューを果たす。

 

次ページにインタビュー続く
・ハプニングがきっかけで生まれたネック
・LIVE Report:FOURPLAY featuring KIRK WHALUM @BLUE NOTE TOKYO

登場するアーティスト
画像

カーク・ウェイラム
Kirk Whalum

1958年、テネシー州メンフィス生まれ。父親が牧師で、幼い頃からゴスペルやR&B に親しむ。9歳でドラムを、高校に入るとサックスを演奏し始める。ヒューストンの南テキサス大学に入学、在学中テキサス・テナーのアーネット・コブに魅了され薫陶を受ける。1983年にボブ・ジェームスのグループに入り、プロとしての本格的なキャリアをスタート。1985年にジェームスのサポートによりタッパン・ジー・レコーズから「Floppy Disk」でソロ・デビュー。1980年代後半から1990年代前半にはクインシー・ジョーンズ、ルーサー・ヴァンドロス、アル・ジャロウ、ホイットニー・ヒューストンらと共演。数多くのアーティストとの交流を深め、ホイットニー・ヒューストンのメガ・ヒット『アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー』でのサックス・ソロは彼が担当している。2000年代以降はスムース・ジャズ・ブーム旗頭的存在としても活躍。デイヴ・コーズが主宰するランデヴーからスマッシュ・ヒットを放った。2012年にジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマンに捧げたカバー・アルバム「ロマンス・ランゲージ」を、2015年に「The Gospel Accordingto Jazz」第4弾をリリース。来日回数も数多い。

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