音楽はシンプルに! 作戦は必要ない!!
日本のフュージョン/スムースジャズ・サックスの先駆者として、1980年代からシーンを牽引してきた神崎ひさあき。デビュー40周年を迎えた現在も国際的な活動を展開している神崎氏の連載が「THE SAX」次号よりスタートする。今回は、氏のサックス人生をご紹介しよう。
道を切り拓いた鮮烈なデビュー!
サックスと音楽を学び、模索し続ける神崎青年は、新宿ピットインなど名門ライブハウスで演奏を重ねた。当時から、スタンダード・ジャズだけでなく、クロスオーバーと呼ばれるジャンルを超えた楽曲を混ぜて披露。その人気は絶大で、ピットインの動員数の記録が塗り替えられるほどだった。やがてレコード会社プロデューサーの目に留まり、スカウトされる。
「峰厚介さんをプロデュースしていた方が来て、アルバムを出さないかと。オリジナル曲もなかったから、作るように言われて誕生したのがアルバム「OPEN MY ROAD」です」
このとき結成されたバンドの名前 “神崎ON THE ROAD”には、ジャック・ケルアックの小説やモーゼの十戒など、読書家の神崎氏ならではの思いが込められていた。そして、メンバーは錚々たる顔ぶれである。
「キーボードの入江宏は、ジョージ大塚さんが連れてきた天才少年として知り合いました。ギターの天野清継とは大学時代から一緒にやっていてね。ギターの山岸潤史さんや、後にベースの鳴瀬喜博さんも参加していました」
アルバムは大ヒットし、その後3枚のアルバムをリリース。だが、神崎氏は1986年に渡米を決意する。
「正直に言うと、全部イヤになってしまってね。実は、マネジメントやプロモーション、ブッキングも自分でやっていました。例えば、メンバーのために、雑誌の連載の仕事を取ってきたりで、自分のサックスを勉強する時間がおそろかになってしまって……」
多くのフュージョン・バンドが活躍し、しのぎを削っていた時代。サックスの勉強を一からやり直すためには日本ではダメだと考え、ジャズメンが多く集まるアメリカ東海岸ではなく、あえて人が少ない西海岸で学ぶことを選んだ。当時、その音楽のソウルに感動し、交流が始まりつつあったアート・ペッパーがいたことも、大きな理由のひとつだった。渡米後はセッション活動で人脈を築き、1988年にアルバム「KANZAKI」をリリース。ラス・フリーマンやデヴィッド・ベノワをゲストに迎えた。さらに、1990年にはメイズのドラマーだったマイケル・ホワイトのアルバムに『so far away』を提供。全米チャート(Radio & Records)で9位にランクインという偉業を果たした。
愛用して35年にもなるヤナギサワサックス
帰国後は、NHK『ソウルオリンピック・ニュース』のテーマソングに起用されるなど、コンポーザーとして活躍。数々のテレビ番組やCMの音楽を手がけた。
「僕の音楽は、シンプルがモットー。そうすれば、大衆に届きやすい。忖度しているわけじゃなく、自分がやりたいことをやると、ポップのほうになるんです。真のポップには、見えない図太い骨が要り、自然発生的で、ときには不合理です。しかしそこがまた面白いんです。社会で生きていると、いろんな作戦を立てたくなるものですが、音楽には必要ない。仕掛けが見えてくるものは好みではないのです」
この神崎氏の思考は、楽器選びにも通じている。現在メインで使用しているのは、ヤナギサワのA-WO1。スタンダードなサックスの良さがあると言う。
「抵抗があっても強くないほうがいい。いろんな部品がついて抵抗があると、コンプレッションがかかってまとまりすぎると思います。その点、この楽器は余計なものがない。その上で、全部を受け止めてくれます。バリバリ吹いても飽和せず、崩れたりしません。そこが気に入っています。音程も正確ですよ」
ヤナギサワサックスを使い始めてから、すでに35年ほどの年月が経つ。コンサートの際には、急遽楽器の提供をお願いしたこともあるという。
「90年代にマイケル・パウロと中野サンプラザのコンサートに参加したとき、シルヴァーソニックのサックスを二人で吹きたいなと思ってね。いきなりヤナギサワサックスの柳澤社長に電話して2台お願いしたら、すぐに持ってきてくれました。もちろんコンサートで使わせてもらいました。パウロも気に入って、それからヤナギサワサックスを使用していますよ」
今年、デビュー40 周年。メモリアルイヤーの活動が気になる。
「曲も溜まってきて、アルバムをリリースする予定でしたが、コロナウイルスの影響で全部ストップしています。でも、必ずやります! コンサートも、アメリカでも日本でもやりたいと思っています!」
神崎ひさあき
Hisaaki Kanzaki
高知県出身。青山学院大学卒業後、日本のジャズ・フュージョンブームのスタートとなる「神崎on the road」を結成。1980年、『OPEN MY MIND』でデビュー、その後3枚のアルバムをリリース後渡米。1988年ラス・フリーマン、リッピングトンズ等を迎えアルバム『KANZAKI』をリリース。帰国後は数々のテレビ、CMの音楽制作、プロデュースなどの活動を積極的に行なう。作曲の『SO FAR AWAY』をマイケル・ホワイトがカバー、アルバムタイトル曲としてリリースし、全米ジャズチャート9位にランクインされコンポーザーとしても評価される。マイケル・パウロとのプロジェクト『エイジアン・ソウル・ブラザーズ』での活躍など、国際的な幅広い活動を展開。DJ、クラブイベントのプロデュースなども行なうなど、クラブミュージックシーンでの活動も展開中。http://www.kzsax.net/