奇跡の復活から返り咲いた伝説のテナーマンからの贈り物
弱冠17歳でプロ・デビュー。1989年度「日本ジャズ大賞」を受賞後リーダー作が数々の賞に輝くなど破竹の勢いだった1980〜90年代前半。ところが、阪神淡路大震災での不幸、追突事故の被害により再起不能を宣告され引退。
懸命のリハビリにより奇跡の復活を果たし、2000年代前半から国内外で再び精力的な活動を続けているファンキー・テナー今津雅仁。そんな彼が完全復活の過程でプライベートに制作したアルバムが18年の時を経てデジタル・リリースされた。現在の心境を語ってもらった。
(インタビュー・文:原田和典/写真:内山 繁(whisper)/取材協力:音吉! MEG
あえて師匠と呼べるものがあるとすれば、それはレコード
僕は師匠を持たなかったんですよ。サックス、ピアノも独学だし作曲に必要な音楽理論も専門書で学びました。解らないことがあれば先輩ミュージシャンに尋ねる。あえて師匠と呼べるものがあるとすれば、それはレコードですね。ジーン・アモンズ、スティット、モブレーやグリフィンのハードバッパー、あとはブルース・テナーの面々。パウエル、シルバー、ジーン・ハリスたちからも影響を受けました。
プロになった17歳の時、尊敬するベーシストから「レコードを5枚買うなら3枚は自分の担当楽器でも良いけれど、あとの2枚はヴォーカルを買いなさい」と言われました。サックスのレコードを聴き込むのは当たり前ですが、ヴォーカルを聴くことでスタンダード曲のメロディの歌い方や微妙なニュアンス、感情の表現方法を学ぶのはとても重要です。フランク・シナトラからはタイトなリズムとメロディライン。B.B.キングからはブルース・フィーリングですね。
次ページに続く
・財産となったアート・ブレイキーとの真夜中のセッション
・デイケアセンターでの約束から生まれたCD
●PROFILE
今津雅仁(Masato Imazu)
17歳でプロ・デビュー後、渡米。1987年から立て続けに2年間で3枚の自主制作盤を発表。1990年1月、メジャー初アルバム「MASATO」が第23回 日本ジャズ大賞を受賞(新人としての受賞は史上初)。同年、批評家投票の【日本ジャズマン部門】【テナー・サックス部門】【作曲家部門】【グループ部門】の4部門でポールウィナーに選出される。大阪フィルハーモニー・オーケストラ、マンハッタン・ジャズ・クインテット等、数々のジョイントコンサートを敢行。1991年、アルバム「He Said...」第24回 日本ジャズ大賞制作企画賞を受賞。長年の引退期間後、2000年復帰アルバム「THE RETURN OF MASATO」をリリースと同時に、日野皓正、およびエディ・ゴメス・クインテットとのジョイント・コンサートをきっかけに日本ジャズ界に復帰。2009年から韓国でのコンサート、東京都内、全国各地でのライブ活動を精力的に行なっている。
bandcamp ¥3,000(税込)
[演奏]今津雅仁(Ts)、近藤哥久子(Pf)、青柳能明(Bass)、福島稔(Ds)
[収録曲]①Blue Christmas/Duo②The Christmas Song③We Wish You A MerryChristmas④Santa Claus is comin' to town⑤サンタがママにキスをした⑥Silent Night⑦Christmas Song/Du
jazzirugi.exblog.jp