ヤマハトランペットの歩みを川崎憲三氏が語る![後編]
世界的な総合楽器メーカー、ヤマハ。その管楽器製造部門の歴史は、トランペットから始まった。1966年、初代トランペットYTR-1の発売と同時にヤマハへ入社し、開発の先駆者として道を切り開いてきた川崎憲三氏。名立たる演奏家たちとの意見交換から、いかにして銘器が生まれたのか、その全容を探る。
世界的な総合楽器メーカー、ヤマハ。その管楽器製造部門の歴史は、トランペットから始まった。1966年、初代トランペットYTR-1の発売と同時にヤマハへ入社し、開発の先駆者として道を切り開いてきた川崎憲三氏。その歩みの傍らには、協力を惜しまないトッププレイヤーたちの姿があった。後編となる今回のインタビューでは、名立たる演奏家たちとの意見交換から、いかにして銘器が生まれたのか、その全容を探る。(協力:ヤマハ株式会社、株式会社ヤマハミュージックジャパン)
川崎さんを囲んで、前回に続いて取材に同席していただいたヤマハ株式会社 B&0事業部B&0戦略企画グループの福田徳久氏(左)と同じくB&0開発部の古海勝彦氏(右)
●プレイヤーの声をキャッチする「アトリエ」の開設
[前編]では、レナルド・シルキー氏の教えのもと、トランペットの開発を進めてきた時代の話を中心に数々の逸話を披露してくれた川崎憲三氏。[後編]のインタビューは、川崎氏が初代室長となった「アトリエ(現アトリエ東京)」の開設からスタートした。
オープン時のアトリエにてシルキー氏と
●工場移転によるバック社の過渡期に需要が高まる
スタープレイヤーが使う楽器に誰もが憧れを抱き、メーカーとして絶大な人気を誇るバックだったが、永年培われた技能やノウハウの伝承に苦慮した時代もあった。
元モントリオール交響楽団首席のジム・トンプソン氏(アトリエ東京)
●ベルの改善が飛躍を生む
改良すべき点は随所にあったが、なかでも一番影響が大きかったのはベルだった。
●最上級モデル、ヤマハXeno(ゼノ)の誕生
1990年に初代Xeno(ゼノ)が誕生する。製品にモデル番号だけでなく、愛称を付けたのは初めてのことだった。
●伝説の楽器を研究し、斬新なアーティストモデルを発売
Xenoのアーティストモデル、シカゴシリーズの開発が垂直立ち上げとなった。この過渡期ともいえる時期だった2002年に、ヤマハへ入社した福田さんからも話を聞いた。
現在のヤマハ最上位機種 Xeno Artist Model YTR-9335CHS
ずらりと並んだ歴代のヤマハトランペット
本編はTHE TRUMPET #05でお楽しみください!
川崎憲三(かわさき・けんぞう) 富山県富山市生まれ。1966年日本楽器製造 株式会社(現ヤマハ株式会社)に入社、管楽器研究課に配属され管楽器技術コンサルタント レナルド・シルキー氏(元シカゴ・シンフォニートランペット奏者、シルキー社社長)指導の下、トランペット他、金管楽器の研究・開発をスタート。1970年シルキー氏の招きでアメリカ・シカゴに留学。シルキー社で金管楽器製造技術習得のため研修するかたわら、ルーズベルト大学でトランペットをシカゴ・リリック・オペラ首席トム・クラウン氏に師事。1972年エドワード・タール氏が主宰する「トランペットセミナーinヨーロッパ」に参加、ヨーロッパにおけるトランペットと音楽文化の変遷について研鑽を積む。1977年ヤマハ管楽器「アトリエ東京」を銀座に開設、国内外プレーヤーと身近に接しR&D活動を展開。1988年にはその拠点を米国に移し初代「Xeno」トランペット他金管楽器の開発に成果を挙げる。1998年管楽器研究・開発業務に復帰するとともに後進の指導・育成にも専念する。2008年ヤマハ株式会社退職後も、アトリエ大阪で嘱託として関西金管プレイヤーのサポートや変化するプレイヤーニーズに応えるべくR&D活動を2015年9月まで継続。現在71歳、浜松の自宅工房でトランペットと向き合う時間を楽しむとともに、生涯現役を目指す。
川崎憲三