白木 朝 Ashita Shiraki
誰しもが持っている自分だけの“ストーリー”をプロ・アマ問わず紹介する連載「トランペットストーリーズ」。第4回は白木朝(しらきあした)君だ。始まったばかりとも言える彼の持つストーリーを語ってもらった。
誰しもが持っている自分だけの“ストーリー”をプロ・アマ問わず紹介する連載「トランペットストーリーズ」。第4回は、圧倒的な過去最年少、生まれてすぐトランペットに出会いキャリアは約10年という白木朝(しらきあした)君だ。一昨年にテレビ朝日系「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」に出演し、天才トランペット少年として話題になったのをご存じの方も多いだろう。始まったばかりとも言える彼の持つストーリーを語ってもらった。
10歳で、ラッパ歴10年!?
今回ご登場いただく白木朝(あした)さんは、わずか10歳。しかし、トランペット歴はすでに10年、ということは間違いなくその辺の中学生よりトランペット歴は長い……ばかりではなく、本誌創刊以来登場した有名無名問わずたくさんのトランペット奏者のうちで、もっとも早くからマウスピースを手に、いや、口にした人物である。
なんと彼の記憶では、まだ言葉も喋れない1歳のころに、マウスピースによるバズィングで自分の言いたいことをお母さんに伝えていた記憶がある、というのだ。三島由紀夫「仮面の告白」を想起させるエピソードではあるが、早い話がほぼほぼ人生の長さがトランペット歴とイコールという、実に素敵なラッパ吹きなのである。
と、ここまで書くとご両親がさぞ熱心な音楽家で、その超早期英才教育の賜物では……と邪推(あえてそう書く)する向きもあるかもしれないが、それは今そう書いた通り、邪推です。ご両親はもちろん当世の流儀に倣って管楽器経験者ではあるものの、初めてのお子さんである朝さんに関して管楽器を教えようとか、ましてや音楽家に仕立てようとかいう、そういうよくある「ステージパパ」「ステージママ」にありがちないやらしい下心などはまったく感じない。
「赤ちゃんの時から音楽に対して興味を示していて、1か月あたりから音楽の好き嫌いが現れるようになったんです。街で弾き語りなどを見かけると強い興味を示すものだから、ほんとの生音を聴かせてみようと思って、東京見物(白木家は現在、北海道にお住まい)に行って某巨大湾岸テーマパークに行ったら、有名なネズミのキャラよりもそこで展開していたビッグバンドショーにすっかりはまってしまって(笑)。その後から毎日楽器がほしいとねだるようになり、根負けしてベビーカーで初めて楽器屋に連れて行きました。そこでプラスチックのマウスピースを購入したんです」
ご両親(お父様は中学までチューバ、お母様はフルート経験者とのこと)双方からお訊きした話を総合するとこんな感じになる。そのモールで購入したプラスチックトランペットが、生涯初の楽器となった。
1歳で『シング・シング・シング』に衝撃を受ける
「なかなか信じてもらえないんですけど(笑)、自分ではまだ言葉がわからないから、おなかすいた! あそんで! 喉かわいた! と言いたいときに、その気持ちを込めて音を鳴らすと、その音色が変わるから、音で言いたいことを伝えていました」
と、まだ声変わりもしていない声で、まるでオトナのようにきちんとした言葉使い。その歯並びは、見事にきれいだ。
「1歳くらいの時にそこ(先述のテーマパーク)に行った時に、なんか僕、ドラムの音がすごかったんですけど、一番かっこいいと思ったのがトランペットで。そこから僕もそんな感じになりたいなあと……。『シング・シング・シング』という曲名はあとでわかったけど、あのエンディングの高い音がかっこよくて……そういうふうに自分もなってみたくて」(朝さん)
「ジャズ、それもビート感がはっきりしたものを好んでいたみたいで」
とお父様もにこやかに語る。ご両親が見せてくれるYouTube動画が子守歌代わりとなり、やがてケーデンス(終止形)の大まかなイメージが朝さんの中に形成される。
「自分の好きな曲を流してくれたんで、たくさん聴いているうちに『ああ、こうやって終わるのか』っていうことがわかってきたんです。じゃーん!とか鳴って終わる感じが好きで」(朝さん)
NARGOさんの跡を継いでスカを広めていきたい!
やがてまもなく朝さんは作曲を始める。それも、楽譜浄書ソフトを自ら使いこなしつつ。
「東京スカパラダイスオーケストラが大好きなんです。北海道にいらっしゃるたびに、NARGOさんを追いかけて、いろいろ教えてもらっているんです。スカパラは『氷結』のCM(『Paradise Has No Border』2016)が初体験で、『ビッグバンドビートより好きかも』と思ったんです。5歳のころでしたね」(朝さん)
「NARGOさんと知り合えたのは、地元に小さなトランぺッターがいるということで取材を企画した地元関係者のみなさんがいろいろ動いていだたいたおかげなんです。東京スカパラダイスオーケストラをはじめ札幌ジャズアンビシャス(デヴィッド・マシューズ氏のプロデュースによるプロバンド)や 地元のスカバンドbeatsunsetさんには大変お世話になっています」(父)
学校には音楽系クラブがダンスしかないので、有名な「札幌ジュニアジャズスクール」でのバンド活動の他、「LIVE&CAFE RELAXIN’」(札幌)や「札幌ジャズアンビシャス」所属のサックス奏者、蛇池(じゃいけ)雅人氏(Sax)のジャムセッションなどで腕を磨いている。
「スカだと、普段ひとりで練習してもできないテンポの速い曲でもノレちゃうんで、ガチジャズよりもこっちのほうがすげえとなって」(朝さん)
今ではすっかりスカの伝道師になる気満々だと語る。そこで気になる質問。小さいうちにプラスチックトランペットを買ってもらったというが、そもそも指は届いたのだろうか?
「いや、親指しか届きませんでした(笑)。でもTHE TRUMPET創刊号の付録音源だった『カンタロープ・アイランド』なら一番しか使わないアレンジだったので。当時はまだ上のレがでるかでないかくらいだったんですけど。基礎練習というのはそのころは知らなかったですね。今は2オクターブは楽に出ます」(朝さん)
使用しているマウスピースは「ルイ・アームストロング」ブランド。博物館にあるものを精密コピーし、傷まで復元されているという逸品だ。
「もちろんルイ・アームストロングも素晴らしいとは思うけど、ガチジャズ(朝さん流の言葉で、いわゆる4ビートの『普通の』ジャズのこと)より僕が好きなのは、そして世の中に広めていきたいのはスカなんです。将来の夢としては、できることならNARGOさんの跡を継いで、東京スカパラダイスオーケストラを師として、スカを広めていきたいんです。スカは大阪弁では『外れ』という意味らしいけど、そうじゃなくて、ジャマイカ生まれの素晴らしい音楽だということを広く伝えたいんです。スカやレゲエは楽しいです!」(朝さん)