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01|きっかけとなったのは…

ひょんな事ではじまる留学生活

What's えびちゃん留学記 ...

自分が感じる「違い」はなんなのだろう───
演奏の違いから様々なことを探求して行った留学時代と海外生活時代を振り返りながら、現地の情報もお届けします。ファゴット奏者で、指揮、講演、コンサートの企画、オーガナイズ、コンサルティング、アドバイザーなど様々な活動をする基盤となった海外留学とはどんなものだったのか。思い出すままに書いていきます。

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蛯澤亮

蛯澤 亮
Ryo Ebisawa


茨城県笠間市出身。笠間小学校にてコルネットを始め、笠間中学校でトランペット、下妻第一高等学校でファゴットを始める。国立音楽大学卒業。ウィーン音楽院私立大学修士課程を最優秀の成績で修了。バーゼル音楽大学研究科修了。 ザルツブルク音楽祭、アッターガウ音楽祭、草津音楽祭などに出演。元・ニューヨーク・シェンユン交響楽団首席奏者。茨城芸術文化振興財団登録アーティスト。ファゴットを馬込勇、ミヒャエル・ヴェルバ、セルジオ・アッツォリーニの各氏に師事。 「おしゃふぁご 〜蛯澤亮のおしゃべりファゴット」を各地で開催、クラシック音楽バー銀座アンクにて毎月第四金曜に定期演奏、池袋オペラハウスにて主宰公演「ハルモニームジーク 」を毎月第二水曜日に開催するなど演奏だけに留まらず、様々なコンサートを企画、構成している。

 

 

 

留学をするまでの道のり…

中学生でクラシックにハマってからというもの、海外オケの演奏をよく聴いていた。当時、NHKでベルリンフィルが定期的に行なっている演奏会の中継があったのでビデオの録画予約を入れて、下校してからは次の中継があるまで何回も見返していた。もちろんN響アワーも毎週欠かさずに見ていたが、断然ベルリンフィルのほうが好きだった。自由で表現豊かなベルリンフィルの演奏は見た目にも派手で、若きエマニュエル・パユやアルブレヒト・マイヤーは憧れの的だった。弦楽器が弓をいっぱい使い、全身で音楽を発散している感じを見て「音楽をするっていうのはこんなにもカッコイイんだ」と、音楽家になりたい夢を抱いた。しかし残念ながらN響を見ていて、その「カッコ良さ」が感じられなかったのだ。それから色々な映像や音源を視聴することで「何が違うのか」を考えてきた。

中学校の吹奏楽部でトランペットを吹いていた私は、高校一年生の終わりにリンツ・ブルックナー管弦楽団首席奏者として活躍してきた馬込勇先生に出会い、フォゴットをはじめた。先生から、ウィーン留学の話や海外オケの話を聞くたび、異国で音楽を学ぶことへの憧れが増していった。そこには「何か根本的な違い」があると漠然と感じていたのだ。

国立音大に進学してからも、相変わらず「演奏の違い」を解明し、自分の演奏に活かしたいと頑張るがどうにも上手くはいかなかった。そろそろ卒業後の進路を決めなければと考えていた大学四年の初め頃、何気なく手にとった雑誌ぶらあぼでサントリーホールで行われるウィーンフィルマスタークラスの案内を見つけた。当時はコンサートマスターのライナー・キュッヒルと、開催年によって楽器が変わる枠がもう一つあったのだが、その年は数ある楽器の中でもファゴットが選ばれていた。講師は首席奏者のミヒャエル・ヴェルバ。私はヴェルバがモーツァルトやウェーバーを録音したCDが結構好きだったので、ぜひ受けてみたいと思った。

その当時の私は漠然と留学したいと思ってはいたが、それを馬込先生に言うと、違う意向が返ってきた。彼には卒業後も日本で頑張って自分を助けてほしいという思いがあったのだ。それはとても光栄なことだが、当時の私は日本という舞台は狭すぎると感じていたのもまた事実。自分で何か行動を起こして道を切り開かなければと考えていたところだった。そのきっかけとして、このマスタークラスを受講したいと思ったのだが、ヴェルバという名前を馬込先生に言うのはちょっと気まずかった。馬込先生の話を聞いていて、どうもあまり仲が良くなさそうだったからだ。しかし、私がぶらあぼを見せて申し込みたいと言うと、あっさりと「良いんじゃない。申し込んでみたら」と軽く了承をしてくれた。

その後、録音審査を通過し、サントリーホールでヴェルバのレッスンを受けた。レッスン後に馬込先生がヴェルバに会いに行くと、開口一番「お前の生徒がすごく良かった!」といってくれたそうだ。馬込先生が「欲しい?」と言うとヴェルバは「今、席が空いている」と返事をしたそうだ。
留学するには自分の行きたい国、大学、何より大事な師を探すのが一番重要だ。自分の習いたい先生を見つけたとしても大学に席が空いていなければ入れない。それはひとりの教授が自分のクラスで持てる生徒の数が決まっているからだ。これはタイミングの良し悪しも関係してくるのだが、たとえ先生が取りたくても、クラスから誰も卒業する生徒がいなくて席が空いていなければ不合格にするしかないのだ。

私の場合は、そのヴェルバの一言で(しかも私は同席していなかったのに!)留学が決まってしまったのだが、当時のことを考えて、本当に運が良かったと思う。実はCDで一番好きだったのはセルジオ・アッツォリーニというイタリアのファゴット奏者だったが、当時の私にはなんの接点もなかったし、腱鞘炎に悩まされ楽器が吹けないという噂も耳にしていた。そこでヴェルバのところに行けるというのはこの上ない話しで、CDで聴いた演奏も好きだったし、何よりレッスンが良かった。人柄も信頼できる感じがしたし、生で聞いた音は今までに聴いたことのない魅力的な音だった。

その後、すぐにうちの両親と会う約束を取り、数日後には馬込先生の通訳で食事へ出かけ、「四月一日にウィーンへ行く」という約束までしたのだ。

 

留学が決まってからはドイツ語を勉強しなければならないと思い、色々と調べた。しかし、もう11月も終わる頃、時間はない。予定も色々と入っている。そこで、当時CM等で有名だった駅前留学NOVAへ行った。自分の予定に合わせて個別指導をしてもらえるからだ。とは言ってもなかなかのレッスン料。だが、何もしないよりはと思い、演奏とリード販売で稼いだ金でなんとかレッスン料を工面した。

間もなく卒業をして、卒業式の日の次の日には実家へ引っ越し、渡墺への準備を始める。とは言ってもやることは持っていく電化製品や変圧器などを買い揃え、ドイツ語の勉強をすることだ。ジタバタしても仕方がない、と思っていたのだが、母親には「そんなにのんびりしていて本当に出国できるの?」と訝しげに言われた(笑)。

 

 


 

次回予告 :ウィーンに到着してから……

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