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日本が吹奏楽大国になった原点 〜再発見! 日本に輝きを与えた作曲家をめぐる旅〜

Wind-i 5号 特集1

邦人作曲家、しかも日本の吹奏楽の黎明期に活躍した作曲家にスポットを当てたいと考えて、様々な文献を調べていたとき、「日本の作曲と吹奏楽の世界」の著者である福田滋氏ことを知り原稿をお願いできないかコンタクトをとってみたところ、すぐに快諾の返事。そこで今回は團伊玖磨、小山清茂、大栗裕、岩井直博、兼田敏の5名に絞ることにして執筆を依頼した。 ここではその記事を少しご紹介しよう。

 

團伊玖磨

團伊玖磨

『祝典行進曲』など一部の作品を除いて、それら吹奏楽作品の大半は残念ながら人知れず埋もれてしまっているのが現状である。 (中略)試奏楽作品に関しては、戦火が激しくなった昭和20年春に東京音楽学校から陸軍戸山学校軍楽隊へ入隊。(中略)命ぜられるまま一心不乱に書き上げたスコアは直に軍楽隊が演奏、その場で音が聴ける環境は音楽家にとって理想的な環境であった。戦後、どのジャンルも楽々と書ける作曲家として活躍できたのもこの経験があったからこそと回想する。

 

小山清茂

小山清茂

川中島の合戦で有名な茶臼山のある長野県更級郡信里村に農家の三男として生まれた小山の音楽体験は、村で聞く神楽囃子や盆踊りなどがすべてであった。しかし、そのような幼児期の原体験こそが小山の音楽世界を形成していき、日本作曲界で“異彩を放つ巨匠”という地位を築いた。 (中略)小山の音楽は己の生活体験から身についた素朴な農民の心を、音楽に託して歌い上げたものである。

 

大栗 裕

大栗 裕

1955年関西歌劇団のために書いた歌劇『赤い陣羽織』で大成功を収め作曲家デビュー。翌年、ベルリン・フィルに捧げられた『大阪俗謡による幻想曲』が渡欧した朝比奈隆の指揮で熱狂的に迎えられると“大阪の音楽家”としての地位を確立、以後も次々に発表する。 (中略)『仮面幻想』は、国立音楽大学シンフォニック・ウインド・アンサンブルの委嘱で書かれ、大橋幸夫指揮、同ウインド・アンサンブルの定期演奏会で初演された。この作品は大栗が入院中に書き上げた最後の作品となった。

 

岩井直博

岩井直博

岩井の吹奏楽への貢献は、吹奏楽界にポップスとその奏法を普及させるという新しい風を吹き込んだことにあるだろう。 名曲揃いの課題曲はシンコーペーテッド・マーチ『明日に向かって』、ポップス・マーチ『すてきな日々』(中略)と続く。これらを今聴いても新鮮な響きがする。2013年には、復興への序曲『夢の明日に』で6回目の課題曲を担当した。これらは今後、何度も演奏を続けていって欲しい作品である。

 

兼田敏

兼田敏

1964年、我が国の吹奏楽史に衝撃を与えたのが兼田敏の作曲した吹奏楽のための楽章『若人の歌』であった。この後日本の吹奏楽作品は大きく変貌をとげることになる。颯爽と登場とした『若人の歌』は、日本人作曲家の手になる最初の芸術家作品として大変に重要である。偉大な作曲家、功労者にして優れた教育者だった兼田の功績は、現在の吹奏楽界に脈々と息づいている。 (中略)「バンドの音楽的な可能性を追求すべき。バンドがオーケストラを追従しているような考え方を持つのは、やはり間違っていると思う(後略)」(兼田敏)

 

兼田敏

Navigator│ 福田 滋

武蔵野音楽大学卒業。様々なジャンルの指揮を通じ現代音楽及び吹奏楽の可能性の追求、日本人作曲家の作品紹介・普及をライフワークとしている。上野、旧奏楽堂で自ら指揮をする「奏楽堂の響き」は、日本人作品のみのコンサートとして注目を浴びる。2012年「日本の作曲家と吹奏楽の世界」(ヤマハ・M.M.)を上梓。「音楽現代」(芸術現代社)、CD解説等に執筆をしている他、楽譜出版や審査員としても活動。CDは「團伊玖磨吹奏楽作品集」vol.1~2、等多数。昨年、陸上自衛隊中央音楽隊を退職し、指揮と音楽評論で活動中。21世紀の吹奏楽“響宴”会員。リベラ・ウインド・シンフォニー音楽監督。2001年には鶴ヶ島市より、08年には陸上幕僚長より文化活動の功績により表彰を受ける。

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