自分の知らない誰かが注目されると、「何者?」という疑わしい気分で問い、「あの人は〇〇大学の優秀な……」「あの人は、〇〇財閥の息子で……」など、ちょっとしたプロフィールが説明されたところで、安心するようなところがある。名刺交換会が重要なのも、日本人らしい看板社会と儀式だろう。
昨今は、ワイドショーブームでコメンテイターも、大学の教授や弁護士などの看板があり、エリート指向気味だが、専門的な内容が必ずしも生かされていないミスキャストも多い。
「この方は、とても偉い方なんですよ」と肩書だけで紹介されると、私のような匂い?で生きるタイプは、何についての「偉い方」なのか、たじろぐ。
人は肩書だけでは、簡単に安心できない。頭がいいかどうか、面白いのかどうか、良い人かどうかは、話してみないと、あるいは一緒に何かをしてみないとわからないのではないか。SNS利用で、どこの誰かも知らない人が、肩書など明かさずに、筋道の有るコメントを言い続けているのを見て、むしろ感心することが有る。逆に、「売名行為」という言葉で、相手を責めたがる人がいるが、その発想を持つこと自体に違和感を覚える。いかにも看板派なのだろう。
またアートに対して、聞いたり、見たりする前に、「どこの」「誰か」で判断する人が多くいるのは、最も残念なことだ。
音楽を聞いても、映画を見ても、自分が良いと感じるかどうかよりも、演奏者がどこそこの有名な人らしいとか、海外のどこかで賞を受賞した映画らしいなど、ともかく看板ありきで、人を判断するタイプも少なくない。
偉人に対する尊敬や敬意は大切だが、裸の王様に対する忖度やおべっかは、不快だ。そこには、心がないのである。
まだ、その人の演奏を聞いたことがない、まだ一度も、その映画や演劇を見たことがない。あるいは、見聞きしたことはあるが、いまいち自分ではよくわからないなど、音やアートを自ら感じる習慣が、日本人は薄めなのかもしれない。
最近、一色まこと原作の音楽アニメ「ピアノの森」がTVアニメ化されたが、主人公の少年ほか登場人物の吹き替え演奏が、ぞくっとするほど、いい。これ、誰の演奏なのだろう、とついつい調べたくらい。オーディションで選ばれたばかりの新進ピアニストや、人気の若手が見事な演奏で、漫画の人気を上回る勢いだ。
ただし、主人公の青年期の演奏は、誰なのかだけは発表されていないようだ。これが、固定観念は邪魔だという製作者たちのねらい、戦略なのだろうか?
森に住む謎の主人公が、音の出ないはずの古いピアノの前に座り、耳で覚えた曲を、軽やかに弾く瞬間……!
彼が弾いた’’茶色の小瓶’’といえば、私が最も好きな映画「グレン・ミラー物語」で知られる曲。そもそも民謡をグレン・ミラーがアレンジし大ヒット。ジャズのスタンダードナンバーとなった。
少年の演奏は、明らかにジャズではないのだが、美しい森と、鳥や動物に囲まれた中で、完全にスイングしている。これはまさに、神演奏か?いや、描かれた少年のドラマとマッチしているからこそ、タイミングの良さから演奏もひきたっているのかもしれない。こんな相乗効果が見られるアニメ映画のちからは、なかなか凄い。
かくして、この森に住む少年と、対象的なエリート家庭のライバル少年との友情関係、隠された過去を持つ音楽の先生もからみ、物語が展開していく。
主人公の少年は、そもそも森の向こうにある下層階級のような街で、クラシック音楽とは無縁の貧困家庭に育ち、森に捨てられたピアノをおもちゃ代わりに生きてきた。そのピアノは、少年が弾いたときしか音が出ない。演奏は、この1曲だけで別世界に連れていかれるほど、魅力的なサウンドだ。
しかし彼の才能を真に磨くには、教育が必要で、一流の先生に学べる環境などはまったく望めない。
この原作となる漫画家は、二人の男子を登場させ、「野生育ち」と「エリート育ち」の対象的な環境で描き分けている。これは、私が見慣れてきたアメリカ映画に例えるなら、まさに環境から、教育を受けられなかった黒人と親の代から恵まれている白人エリートの相違として見ることができる。
あえて言うなら、上野千鶴子教授が東大の入学式でスピーチした、
「あなたが東大という学校に入学し、これからエリートとして生きられるのは、環境のおかげだということを忘れてはならない」という意味がここにある。
もし、家庭環境が許すなら、森の少年もエリート少年と同じように、普通に音楽の道を目指せたのだろう。しかし、逆に野生の少年は、型にはまらない生き様で、教育や勉強では行けないところにはばたける、大きな羽根を持ち合わせているのか……。
そういえば、今年アカデミー賞を受賞した「グリーンブック」の主人公も、恵まれた環境とは言えなかった黒人のピアニストだが、たまたま養育された家庭で、音楽の才能を磨く機会を与えられたという設定だ。
黒人とはいえ、基礎がクラシック畑ということもあって、天才扱いの人気ピアニストとして、ツアーに招聘される。しかしその演奏が、上流階級の白人たちから認められても、黒人という肌の色で理不尽な差別を受けていく。
それが、タイトルにある「黒人が旅行するための特別な案内本、グリーンブック」の意味だ。宿泊ホテルだけでなく、コンサート、パーティの主賓であっても、レストランや洗面所は白人と別のところを強いられる現実。それでも怒りを抑えるのは、あくまでエレガントなクラシック奏者たるゆえん。
一方、ドライバーとして雇われた白人は、いくら暴力的で、仕事にあぶれたやさぐれでも、人間として普通の権利が与えられている。こうした人種や立場の環境の中で、二人はいかに音楽ツアーを展開するのか?
主人公ドクター・シャーリーが、意外にも足を踏み入れたことがない酒場=ライブハウスを初めて訪ねるシーンが印象的。そこは、黒人バンドのブルース&ジャズの演奏で、客が楽しく踊るところ。
ドクター・シャーリーは、そんなところでも、厳かに、優雅にショパンの練習曲作品25-11を演奏する。圧倒的な美しさに息を呑むシーン。
劇中は、フランス人ピアニストで、故サンソン・フランソワ氏(白人)の演奏を使用。ジャズ的なクラシックピアノを弾く斬新なサウンドで知られる故サンソンの音が、ドクター・シャーリーの演奏シーンに見事に重ね合わされ、ドラマをいっきに盛り上げた。そして、極め付きのバンドセッションはお手のもの。
野生の血が、人間の計算を超える音をはじき出す力。
音楽や映画ファンは、ルールや常識を遥かに超越したアートに対して、常に待ち構えているようだ。
ちなみにドクター・シャーリーは、クラシック&ジャズの演奏者として成功した実在の人物だが、本作の時代背景や私生活については映画との相違点が指摘されているところもある。本人の演奏もわすがにネットで聴けるが、イメージはずいぶん違う。映画では、純然たるクラシックピアニストにしたかったのだろう。
また、イタリア移民の白人ドライバーは、家族に囲まれながらも、教養のない環境で過ごしたらしく、ツアー先から妻への愛情を示す表現がわからず、アーチストのドクター・シャーリーから、美しい言葉を学ぶ。二人は互いにないものを補い合い、友情を育む。アメリカ映画に多い’相棒もの’(バディ・システム)のわかりやすいスタイルだ。
これまでは、白人の警察官が無謀に肌の色の違う黒人を痛めつけ、権力も教養もない黒人は、暴動を起こすなど、差別をストレートに描くことも多かったが、本作では黒人と白人の関係で、たまたま黒人側が、良い環境を与えられたという珍しいパターンで、差別を受けながらも暴力には訴えない、上品なクラシックの音楽家として描かれる。ここがポイントだ。
日本の社会では、民族国家アメリカにある人種差別の歴史をどこまで興味を持ち、理解できるのかはわからないが、それによって映画に対する考えや人に対する思いが大きく異なるだろう。我々、洋画中心に映画に関わるものは、人種やそのほかのマイノリティーについて、その多様性を学び続けている。
生まれながらの看板や恵まれた環境を持たない者の才能とスケールが現実に、もっと評価されていいはずだ。周囲の評価より先に、自分の感性で判断する習慣が広がれば、文化はもっと高まるだろう。
映画『グリーンブック』公式サイト:https://gaga.ne.jp/greenbook/
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第1回:平昌オリンピックと音楽
第2回:MeTooの土壌、日本では?
第3回:エリック・クラプトン~サウンドとからむ生きざまの物語~
第4回:津軽のカマリ、名匠高橋竹山の物語
第5回:ヒロイックな女たち
第6回:アカデミー賞2019年は、マイノリティーの人権運動と音楽パワー
第7回:知るべきすべては音楽の中に――楽器を通して自分を表現する
第8回:看板ではなく感性で聴くことから文化が高まる