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人と人、埋まらない心の溝

木村奈保子の音のまにまに|第52号

映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」が公開され、映画ファン枠を超えたテーマを持つ作品だけに、いまひとつ話題が薄いのは残念だ。
世界にMeToo運動が広がるきっけかけを作ったニューヨークタイムズの女性記者たちが、ハリウッドの大物プロデューサーによる過去のセクハラ、レイプをとことん追っていく実話の映画化である。

狙われたターゲットとなる大物プロデューサーとは、映画会社ミラマックスを立ち上げた映画界の成功者、ハーベイ・ワインスタイン。アカデミー賞を受賞した「イングリッシュ・ペイシェント」やタランティーノ映画「パルプフィクション」ほか、「ロード・オブ・ザ・リング」などの大作に限らず、マット・デイモンのデビュー作「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」のような小さい作品まで実に数多くの作品を手掛けてきた。
素晴らしい作品の生みの親には常に感謝したい思いでいっぱいだが、その裏で、多くの女性が犠牲になっていた事実は見逃せない。

作品に罪はない、とはいえ、性犯罪で禁錮20年、レイプで3年の計23年の禁錮刑に問われた映画人の罪の重さは、計り知れない。

常に被害者は、小さな存在で、立場の弱い者。
声を上げるとき、何十年も経てから、いまさら、と言われる時期になってしまうのは長年心の治療をしたり、恐怖心が残っているからだが、そこがあまり理解されていない。被害者は、高齢になり、急に思い出したように、わめきだしているわけではないのである。

映画界の性的暴行被害では、最近も、世紀の美女たちが次々と声を上げている。
オリビア・ハッセーが若き日に騙されて裸で撮影されたことについて制作会社を提訴。ブルック・シールズも仕事で知り合った男性に突然、覆いかぶされたことから、何年もセラピーを受けて乗り越えたことを告白している。
ワインスタインとは別の話であるが、こうした経験談は、女性なら、大なり小なり、被害を理解し、想像できるだろう。

人権運動が強いアメリカでさえ、性的被害については、口にするだけで、こんなに時間がかかっているのは、恥ずかしさと多くの犠牲を恐れてのことだ。
なにせ、相手がワインスタインのような大物でなくても、女性たちの活躍にかかわる男性が、権力を持つ立場であり、彼らに対する強い拒絶は、将来の夢や生活をすべて台無しにされてしまうほどの圧力を感じさせられるからだ。
決して映画界だけの話ではないだろう。

さて、本作は、ニューヨークタイムズの若い女性記者二人による原作を基にした実話。彼らのボスは、女性とアフリカ系の男性記者であるのが印象的だ。口を閉ざした過去の被害者を次々と訪れて、真実を聞き出そうとチームで奮闘する。
被害内容を聞き出し、証拠となる被害者たちの名前を出して良いか許可を得るまで、食い下がる記者たちの地道な姿が描かれる。

犯人を割り出していくのではなく、被害者を割り出し、明確な証拠固めをしてから、最後に犯人にぶつけるという構成だ。

映画の演出としては、二人の女性記者のキャスティングを含め、かなり地味だ。被害者が受けたセクハラシーンの再現もなく、コメントのみの証言。
惜しいのは、レイプ被害の経験が3回もある大物女優、アシュレイ・ジャッドが出演しているのに、いまひとつ印象に残らない。
アシュレイは、レイプ犯をのちに自ら呼び出して、再会を果たした経験者だ。トラウマを乗りこえたあと、加害者と対面する勇気がある人物なのだ。
ハリウッド女優たちの力強さが映画の中でもリアルにとりいれられたら、より説得力が増したかもしれない。

せっかくの歴史的なテーマをドイツの女性監督が手掛ける演出力が、少々弱い。
だから、アカデミー賞、ノミネートさえも逃したのだろう。
被害者の悲しみは伝わるが、“怒り”を重ねなければ、被害の印象が弱くなる。
これは、ハリウッド映画界全体の話である。
ジョディ・フォスターぐらいを監督にして、アグレッシブなハリウッド女優総動員で演じたら、もっと映画の力が強くなったに違いない。
MeToo運動を加速させる映像作品としてのパワーを次回に期待するしかない。

一方、今年のアカデミー賞、主演女優賞にもノミネーションされている映画「ブロンド」のキューバ系女優、アナ・デ・アルマスは、せっかくの魅力やキャリアがありながら、いまどき、なぜこんな映画に出演したのだろうと不思議に思えた作品。

マリリン・モンローという歴史的な女優を存在させながら、創作小説をベースにしているだけに、史実とされる物語からかけはなれ、何より男性目線の過剰な性的行為をここまで演出してよいのか? 彼女は本気で、こんな演技を許諾したのだろうか?

世界的なスターになったモンローが、実は母親の虐待を受けており愛に飢えた孤独なヒロインのまま、大人になれないというところまでは、許容できる。

しかし、喜劇王チャップリンの息子とその友人男性との性的3P関係が続いたり、あげくは、ケネディ大統領と“不倫”というより、屈辱的な立場で性的関係を結んでいるシーンなど、女性としてのモンローに対する表現が下品極まりないのだ。

どうして今、伝説のマリリン・モンローやケネディ大統領をここまで貶める必要があるのだろう? たぶん監督の悪気はなく、自身の性癖か性的願望が現れただけなのかもしれないが、だとしたら、歴史的な実在の人物を扱う必要はない。

ニュージーランド出身のアンドリュー・ドミニク監督は、「ジェシー・ジェイムスの暗殺」など男性映画では見事な世界観を見せた。「SHE SAID」より映像制作の技術があるだけに女性を描くとなると、こんな下世話な方向にいくのかと思うと、残念でならない。

多くのセクハラをやむなく乗り越えてきた時代の孤独なマリリン・モンローに対して、少しでもリスペクトがあるなら、よけいなシーンをいまからでも編集すべきだろう。

溝は、少しでも気づいたときに、埋めたほうがいい。

その点、マドンナは、先人に学び、生きているうちに自ら自伝映画を作ろうと準備中だ。男性目線の感覚で、自分の人生を語られてはたまらない、自分の物語は自分で演出するという意気込みだ。そこがモンロー時代とは違う。

もうひとつ、心の溝を描く作品では、アイルランド映画「イニシェリン島の精霊」がある。アカデミー賞ノミネーション作の有力候補の1本だ。

これは、映画ファンに評価されるに違いないアート作品。
ただ、マーベリック、アバターみたいな娯楽大作を楽しみたい、とか、わかりやすい感動物語を期待する人には不向きかもしれないが。

架空の美しい島を舞台に、ゆったりと時間が流れ、少しの登場人物だけ。
乳しぼりの青年は、或る日突然、高齢の男友達から、絶縁を告げられる。
絶縁の理由は、退屈な人と時間を無駄に過ごしたくないから。

高齢の友人は、フィドル弾きのおじいちゃん。
音大生が彼とセッションをしたくて、わざわざ島に来るほどのアーティストだ。
残り少ない人生を音楽作りに費やしたいから、才能のない人との他愛ないおしゃべりは時間の無駄と言いきる。音楽家至上主義の人物だ。

意味が理解できない“やさしさ”だけが取り柄の青年は、フィドル弾きを執拗に追い求める。自分の何が悪いのか、価値観の相違が、わからない。

「やさしさは、歴史に残せないが、音楽は歴史に残せる」とフィドル爺。

「もし、今度しゃべりかけたら、自分の指を1本切るぞ!」と
フィドル弾き爺は、本気で怒り自傷宣言をし、やがて実行にうつすことになるのだが……。

心やさしい普通の青年VSへんくつ爺の音楽家の意識の違いが、徐々に肉体を伴う戦いに転化していく。

溝は、広がっていくばかりだ。

男と女、老人と若者、親と子供、弱者と権力者……
いつまでも溝は埋まらぬまま、戦いの火ぶたが切られ、人は裁かれていく。

殺伐とした時代に向き合うべき映画。
あなたのハートの溝は、埋まるのでしょうか?

 

MOVIE Information

「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」(2022,米/2023年1月日本公開)
[監督]マリア・シュラーダー
[出演]キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン、パトリシア・クラークソン
[原題]She Said
[配給]東宝東和

「ブロンド」(2022,米)
[監督]アンドリュー・ドミニク
[出演]アナ・デ・アルマス、エイドリアン・ブロディ、ボビー・カナヴェイル
[原題]Blonde
[配信]Netflix

「イニシェリン島の精霊」(2022,英/2023月1月日本公開)
[監督]マーティン・マクドナー
[出演]コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン
[原題]The Banshees of Inisherin
[配給]ディズニー

 

木村奈保子

木村奈保子
作家、映画評論家、映像制作者、映画音楽コンサートプロデューサー
NAHOKバッグデザイナー、ヒーローインターナショナル株式会社代表取締役
www.kimuranahoko.com

 

 

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