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THE SAX vol.113 Cover Story
矢野沙織&菊地成孔 Wood Stone New Vintageを語る
人工的に作られた未来の物でありながら、音質に渋さがある
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ヴィンテージを元々使われていた方って音へのこだわりがあるかと思います。音や鳴りについてはどう感じられていますか。
菊地
僕はまさに矢野さんと真逆で、僕のガタイでテナーはでかいんですよ。もう10センチ身長が高いほうがテナーは吹きやすいなって思うんだけど。だから、大きめに吹こうとしたときにかかる負荷は大きい。だけどWood Stone New Vintageはちょっとした反応がでかいので、ちょっとリードを鳴らすと“バッ”て出るから、僕的にはパワフルな楽器でもあって。だからそんなに無理して吹きこまなくてもしっかり鳴る。さらに下のほうと上のほうで音色が変わってしまうこともないし、パワフルかつとにかく均質なんだよね。サックスの音がある意味キーボードみたいな感じで。そんな言葉で喋っちゃうと非常に味気ない感じがしますけど、音質に渋さもあって理想的なんです。極端に言うと人工的に作られた未来のもの。だから「New Vintage」て言うんだと思うけど。
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現在お二人がお使いのセッティングを教えていただいてよろしいですか。
矢野
サックスはWood Stone Alto Saxophone New Vintage VL。マウスピースはWood StoneのTraditional Jazz Model初期のプロトタイプです。もう20年ぐらい使っています。リガチャーはWood StoneのSolid SilverでリードもWood Stoneの3番です。
菊地
アルトは、Wood Stone Alto Saxophone New Vintage SP。マウスピースはWood Stone STUDIO DELUXEで、リガチャーはWood Stone Solid Silver。リードはWood Stoneの2.5番です。
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ちなみに菊地さん、テナーの試奏のときは現在お使いのNew Vintage VL以外に他のモデルも試されましたか?
菊地
テナーは試作品がいっぱい出てきますよっていうときに、だいぶ試奏させていただいたんですけど、吹いた感想はさっき言った通りどのモデルも完璧な操作性。
矢野
2014年、15年頃の録音もこの楽器で演奏しているんですか?
菊地
そうです。
矢野
やっぱりもう、他の人が聴くと菊地さんの音って……。
菊地
あ、結構バレバレでね。スタッフとかね、あと共演してるピアニストだとか、強弱ですぐわかっちゃうんですね。音がでかくなったねって。試し吹きしてパラパラと吹いたら、「もう、でかい」、という感じで。鳴りもいいって。
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お二人とも楽器の調整やメンテナンスも石森管楽器さんで行なわれているんですか。
矢野
菊地さんに石森管楽器で会ったことないのがびっくり。
菊地
僕、矢野さんって石森管楽器に来ないと思ってたもん(笑)。
矢野
メンテナンスで小学生のころから来てますね。やはり子どもに対してもあまり目線が変わらないっていうのがすごく素敵なところだなあと思いますね。普通小学生が来たら「あら、お嬢ちゃん」ってなるけど、そうならなくて。いまのテンションとあまり変わりなく接していただいて、伝統の雰囲気っていうのは、まさにこうなんだなと感じます。
たくさん言えるからビ・バップとラップをやる
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矢野さんのプロジェクト House of Jaxxのシングル「Cauldron Burn」がリリースされました。今回はリリックも手がけられて、曲中のサックスもとても激しく、はじけたプレーを展開されています。本作のテーマやコンセプトはどのようにして制作されたのでしょうか。
矢野
今回、すごく早口のラップを書きました。時代は変わっていくっていう話ではありますが、言いたいことはたくさんある。ビ・バップもそうなんですけど、たくさん言えるから演奏していて、ラップもたくさん言えるから取り組みました。ということだけで、あまり内容はないです。言いたいことを言っただけ。言いたいことはそのうちなくなるんだろうけど最初なのでたくさんあります。菊地さんは作詞ってどうやってます?
菊地
作詞はジャズをやってるときの脳とはまったく使い方が違う。ジャズとクラシックができる人とかいるじゃないですか。ジャズとロック、ジャズとヒップホップとか。僕の音楽家としての特徴はジャズとポップスなんですよ。ポップスはソングライトなので。アレンジメントもそうですよね。だからポップスをやるときは曲を作って作詞するものっていうね。作詞はけっこう昔からしてますね。サックスを吹き始めた頃と同じくらいのときから。
矢野
もともとそういう音楽の中にラップを取り入れたりとかしているのは薄々知っていたんですけど、改めて聴いてみたときに、ジャズの中にラップを取り入れていた。それにすごくインスパイアされて、私も入れようって。
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まさにラップとビ・バップ、新しい感覚のラップとして聞こえました。そういった狙いとかもあったのでしょうか。
菊地
どうでしょう、新しいって難しいですよね。わからない。新しいの定義が、曖昧かなと思うので。新しいものが素晴らしいかというと、そうとは限らない。私くらいのことをやってる人も特にたくさんいると思うんですけど、それはそれでまったく気にしないことなので。ただ日本語とジャズとで、知り合いで同じ楽器をやっている人、共通項のある人はあまりいないので、菊地さんの音楽からインスパイアされた部分はあります。
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今後、例えば2人の共演のご予定はありますか?
菊地
話をしたりはしてますけど、具体的には何をしますということはまだ決まっていません。歌ったことはあります。
1回もサックスで共演したことない。ぼくそんなにサックスの人と一緒にやったことないんですよ。House of Jaxxもそうなんですけど、純正のビバッパーっていうのはなかなか難しい。例えばビ・バップのレコードを出して全国を回ってお金を稼ぐってのは簡単なようで難しいし、アルバムを出し続けて活動を続けるっていうのも難しいし、そうしたら結果として、純正ビバッパーだったのが、だんだん混ぜ物が多くなってきてしまう。矢野さんはプレーがもうビ・バップなんですね。はっきりとしたビ・バップっていう素材なので、ほかの素材との組み合わせがはっきりとわかる。サックスはこれですっていうのがあったほうがいろんな音楽性とレイヤーするには向いてるんですよ。だから僕は矢野さんのHouse of Jaxxが 本当に素晴らしいなと思いました。
1回もサックスで共演したことない。ぼくそんなにサックスの人と一緒にやったことないんですよ。House of Jaxxもそうなんですけど、純正のビバッパーっていうのはなかなか難しい。例えばビ・バップのレコードを出して全国を回ってお金を稼ぐってのは簡単なようで難しいし、アルバムを出し続けて活動を続けるっていうのも難しいし、そうしたら結果として、純正ビバッパーだったのが、だんだん混ぜ物が多くなってきてしまう。矢野さんはプレーがもうビ・バップなんですね。はっきりとしたビ・バップっていう素材なので、ほかの素材との組み合わせがはっきりとわかる。サックスはこれですっていうのがあったほうがいろんな音楽性とレイヤーするには向いてるんですよ。だから僕は矢野さんのHouse of Jaxxが 本当に素晴らしいなと思いました。
矢野
菊地さんの言葉って軽薄な意味ではない、エロティックっていう部分とか生と死っていう部分であったりとかを決して忘れない方なので。愛っていうとちょっと違いますけど、何でしょう、ロマンティックであるとか、ラブであるとかっていうことを必ず取り入れてることが素晴らしい。「どうやって考えてるの」って聴いてますけど。そして何か伝えたいことを裏声で出すじゃないですか? それが好きで。自分から出た言葉と自分から出た音が融合するっていう前例があったので、私が好きな言葉を言ったときに楽器を吹いても平気だろうなって今回のシングルでは思いました。思い切ってやれた。あ、落っこちちゃったって思っても、そのまま自分で何か吹けば形になるのかなと。
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今回のシングルからアルバムにするご予定はありますか?
矢野
ちょこちょこシングルを出していってアルバムにしようかなとは思います。
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矢野さんは今年は20周年でしたよね。何かライブのご予定はありますか?
矢野
そうなんです。ご相談してることはあるんですけど、何かがあるとだけ匂わせておきます(笑)。
菊地
僕もアレンジ、プロデュースに関わるかもしれません!
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とても楽しみにしています。ありがとうございました。
菊地成孔&&矢野紗織 インタビューアフタートーク
—Talk about “Wood Stone New Vintage Saxophone”—
登場するアーティスト
菊地成孔
菊地成孔
Naruyoshi Kikuchi
1963年、千葉県銚子市生まれ。音楽家/文筆家。音楽の分野においては、ジャズを中心に多岐ジャンルに渡ってバンドリーダー、プロデュース、作曲もこなすサクソフォン奏者として多くのステージに立つ。文筆家としては音楽や映画、格闘技、モード、食などのエッセイや批評を執筆。ラジオパーソナリティ、DJとしても活躍している。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。
登場するアーティスト
矢野沙織
矢野沙織
Saori Yano
1986年東京出身、9歳のときブラスバンドでアルト・サックスを始める。チャーリー・パーカーに衝撃を受けジャズに傾倒、14歳でビリー・ホリデイの自叙伝に感銘し、自らジャズクラブに出演交渉を行なってライブ活動をスタート。 ジャズの名門SAVOYレーベル日本人アーティスト第2弾として2003年9月、16歳でセンセーショナルなデビューを飾る。日本にとどまらずニューヨークでもライブを重ねる一方、テレビ朝日系「報道ステーション」テーマ曲に起用され、世に新世代ジャズの到来を知らしめた。 ジミー・コブがブルーノート・ツアーで共演した際には、「日本のキャノンボール・アダレイ」と絶賛。ニューヨーク2日間公演でも本場オーディエンスを圧倒し、初のライブ盤として発売。 2007年春、花王“ASIENCE”の新たなアジアンビューティとしてCMに登場。同CMで使用されたオリジナル曲「I & I」を収録したベストアルバムは、第22回日本ゴールドディスク大賞ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。