特別企画 万能の巨人! テオバルト・ベーム
ベーム式フルート完成から日本では4つの時代を迎え、平成も末期となった。この節目に、もう一度当時の内容をふり返り、あらためてフルーティストの“父”テオバルト・ベームの偉業に思いを馳せる。
海外レポート:ベームの生誕200年祭に望んでより
小泉 良
ベームは19世紀が生んだ万能の巨人の一人
とにかく、テオバルト・ベームという人はただの楽器製作者というだけの人ではなく、19世紀が生んだ万能の巨人の一人と言っても過言ではありません。いわゆる「ベーム式」という木管楽器のシステムは、フルートだけでなく、オーボエをはじめクラリネットやファゴットはもちろん、後にはサクソフォーンにまで応用されることになったのです。
―中略―
晩年に出版された彼の「フルートとフルート奏法」という本は、今世紀になってボストンのデイトン・ミラー氏によって英訳され、たくさんの“註”が加えられて内容豊かなものになっています。私の手もとには日本語訳小又良一氏のものがあります。
またその本によりますと、ベームの身長は5フィート10インチ(約178センチメートル)、骨太で褐色の瞳をしていたといいます。
全く謙虚で、内気でさえあったベームの人柄
アメリカ人の弟子であったウィルキンス・ジュニア氏は次のように語っています。
「私は1871年、テオバルト・ベーム先生の弟子になり、3年以上にわたって、先生の友人として、また話し相手としての光栄な日々を送ることができたことを無上の喜びとするものであり、全くの幸運であったとしか思えないくらいである。先生の一生は研究一筋に捧げられ、それもドイツ人の学究に特有の、組織的方法によって一歩一歩を進めていくといった調子であった。先生は全く謙虚であり、内気ともいえる性格であった。そして何よりも、浅はかさとか、見栄とかが大嫌いであった。」
自分の工場を整備して楽器をつくる
ベームは88歳の長寿を全うしたのですが、生前、彼は家業だった金属加工業を継いだものの、音楽に心を奪われており、それまで吹いていたフラジオレット(縦笛式のフルート)に飽き足らずフルートの改良に着手しました。ただの金属加工屋さんではなかったのです。1818年にババリア宮廷付属礼拝堂に席を得てからは音楽活動に専念して、自分の工場も手放し、フルートも他の製作者に注文して作らせていたのです。しかし、どうしても満足なものができないので1828年にもう一度自分の工場を整備して楽器を作り始めました。
生誕祭を支えるベーム一族の繁栄
7人の息子と一人の娘に恵まれた彼は、「…一人ひとりが、自分の世界を自ら開拓できるように、それぞれの個性に合った教育を施したつもりです」とウィルキンス・ジュニアに語っています。
その子孫たちが、100年前の4月9日にも生誕100年祭を祝っているのですから、今回の200年祭も、その子孫繁栄の線上にあることがよくわかります。