クラリネット記事 Close-Up Interview 米倉森
  クラリネット記事 Close-Up Interview 米倉森
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Close-Up Interview

Close-Up Interview 米倉森

ドイツ留学はすべてを変えた

ドイツ留学はすべてを変えた

ショスタコーヴィチ音楽学校に勤めていた頃の話をお訊きします。
米倉
ドイツで最後に勤めていた学校がショスタコーヴィチ音楽学校というところでした。ベルリンにある学校で、名前からも分かる通り旧東ベルリンに位置するあった音楽学校です。州立の学校で、下は5歳から上は大学生まで通えます。ドイツには音楽学校が多くあるのですが、それは音大を目指して専門的なレッスンを受ける人もいればグループレッスンを行なっているところもあります。私は幼児教育もすごく大事にしたいので、クラリネットの5歳からのグループレッスンも見ていました。まだクラリネットが持てないので、サクソネットという楽器で代用します。プラスチック製の小さいクラリネットみたいな楽器で、マウスピースもプラスチック製ですが通常のB♭クラリネット用とほぼ同じ見た目、リガチャーは通常のB♭クラリネット用のものがそのまま使えます。リードは2半くらいで、運指はリコーダーと一緒なので、クラリネットかサックスは吹けるようになれます。グループレッスンなので、これを11人のちびっ子に教えていました。大変でしたが可愛かったですし、ここでクラリネットに出会ってくれる子がいてくれたらとても嬉しいですよね。そう思って、このクラスの担当を引き受けていました。ここから実際にクラリネットを始めてくれることもありましたから。
留学する前と後で、自分の中で変わったなと思うことはありますか?
米倉
すべて変わりました。自分が変わりましたし、性格も強くなりました。考え方も、物事をはっきり判断できるようになりましたし、はっきり伝えられるようになりました。仕事をする上でも強い自分を持てるようにもなりました。ベルリンは旧東と旧西でガラリと雰囲気が変わって、元々私は旧西ベルリンに住みたいと思っていたんです。ですが、通っていた大学はザ・旧東でしたし、就職したオーケストラも旧東の名残があるブランデンブルグで、就職した学校も旧東。そういう中で私は、他の人よりも大体20cmか30cmくらい背が低くて。男性社会でもありましたし、東洋人も少なかったですから、苦労はすごくしました。10年間、辛いことのほうが多かったですが、それがあったから今がありますね。強くなりました。

ビールをおともに野外でオペラ

エキストラで多くの楽団に参加されたそうですが、特定のオーケストラに所属などされましたか?
米倉
はい、ブランデンブルグ州立管弦楽団エバーズヴァルデで一年間首席クラリネット奏者を務めました。ここはサロンオケの形を持っているので、フルの管楽器はいないんです。なので、二管編成の演奏をするときはエキストラを呼んでいました。また、オペラをよく演奏するオーケストラで、野外オペラを夏の時期にやったりします。ブランデンブルク州にあるコリーン修道院というところがあって、そこで色々なオケが入れ代わり立ち代わり野外公演をするんですね。一応ステージと屋根があるのですが、とにかくオープンエアーで、風で楽譜が飛んでいったり、雨が強まって一時退散したりとか、楽屋ももう山小屋みたいな感じで(笑)。でも大きな庭があって、とても素敵なところです。
日本では考えられないですね……。
米倉
ドイツですと、野外での演奏が本当にたくさんあります。特に夏場、6月と7月の二ヶ月間はどこのオーケストラも野外演奏をやります。ベルリン・フィルも「ヴァルトビューネ」という公演がありますし、ウィーン・フィルもシェーンブルン宮殿で演奏をしますからね。ビールやお弁当を持って見ている方もいます。なかなか日本にはない文化ですね。
音楽との距離が近しいんですね。
米倉
そうですね、それはとても感じました。
米倉さんの話を聞いていて、ドイツへの興味がとても湧いてきました。ですが、現状はまだまだ留学先にドイツを選ぶ方は少ないですよね。
米倉
そうですね、まだまだ少ないですね。だからこういう記事を読んで、ドイツへ留学する人が増えることが望みです。ただ、私が留学したときはまだ頼れる人が誰もいなかったので、その頃は先生へコンタクトを取ることなんかも全部自分でやることが普通だったのですが、今の子たちはそれがなかなかできなくて……。
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